photo:Solo Moto
2月12日朝、デエゴ・ボシスが亡くなった。職場へ向かう通勤電車の中での心臓発作だったということだ。
ボシスは1980年代から90年代にかけてのトップライダー。ジョルディ・タレスをライバルとし、ついにタイトル獲得はならなかったが、長きにわたって世界選手権の頂点ライダーとして君臨した。
1967年10月19日イタリア・ベルガモ生まれ。44歳だった。
2006年TDNにて。右がボシス。左へ、ファビオ・レンツィ、ダニエレ・マウリノ、ミケーレ・オリツィオと
ボシスの世界選手権デビュー戦は1984年のスペイン大会。16歳でのデビューで、このときは18位。生涯で200世界選手権に参戦していた。
最初にポイントを獲得したのは同じ84年フランス大会で9位に入賞。初めて表彰台に上ったのはそれから2年後、1986年イギリス大会でのことだった。
初優勝はさらに1年後の1987年、アメリカ大会。以来、全9勝をあげている。アプリリアで3勝、ファンティックで5勝、ベータで1勝。ほかに世界選手権では、ガスガス、モンテッサでポイントを獲得している。
年号 | 世界ランキング | マシン | 最高位 | 世界チャンピオン |
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1984 | 14 | ファンティック | 最高位5位 | エディ・ルジャーン |
1985 | 5 | モンテッサ | 最高位5位 | ティエリー・ミショー |
1986 | 6 | モンテッサ | 最高位3位 | ティエリー・ミショー |
1987 | 2 | アプリリア | 優勝1回 | ジョルディ・タレス |
1988 | 5 | アプリリア | 最高位3位 | ティエリー・ミショー |
1989 | 3 | アプリリア | 最高位2位 | ジョルディ・タレス |
1990 | 2 | アプリリア | 優勝2回 | ジョルディ・タレス |
1991 | 3 | ファンティック | 優勝2回 | ジョルディ・タレス |
1992 | 3 | ファンティック | 優勝3回 | トンミ・アーバラ |
1993 | 10 | ファンティック | 最高位2位 | ジョルディ・タレス |
1994 | 7 | ベータ | 優勝1回 | ジョルディ・タレス |
1995 | 13 | ベータ | 最高位5位 | ジョルディ・タレス |
1996 | 18 | ガスガス | 最高位10位 | マルク・コロメ |
1997 | 18 | モンテッサ | 最高位6位 | ドギー・ランプキン |
1998 | 11 | モンテッサ | 最高位8位 | ドギー・ランプキン |
1999 | 14 | モンテッサ | 最高位4位 | ドギー・ランプキン |
2000 | 21 | モンテッサ | 最高位12位 | ドギー・ランプキン |
最後の世界選手権ポイント獲得は、2006年のイタリア大会、13位だった。
2010年TDNポーランド大会で、その会場にいて第1回TDNに参加した(左から)フランスのティエリー・ミショー、えらいおじさんをはさみ、スペインのルイス・ガリャック、そしてイタリアのデエゴ・ボシス
トライアル・デ・ナシオンのイタリア代表としても活躍。1984年から2006年まで(途中、1996年と2001年は欠場)イタリアチームのメンバーとして走り、1987年にはチームを優勝に導いている。21回のTDN出場は、もちろんダントツ。
2010年からはFIMのセクション・コーディネーターとして再びトライアル世界選手権の現場で活躍を始めた。2010年には来日はしなかったが、2011年の日本グランプリにはFIMのスタッフとしてツインリンクもてぎを訪れ、セクションの最終仕上げをおこなっていた。
ルジャーンの時代からランプキンの時代までを走り続けたシニョーレ・トリアル。早すぎる逝去にイタリアのトライアル界、いや世界中のトライアル仲間が悲しみに包まれている。
2011年日本グランプリにて。FIMトライアル委員長デビッド・ウイロビー、ドギー・ランプキンと、デエゴ・ボシス