2012年05月15日
2012例大祭
春の例大祭がとりおこなわれた。諏訪神社と八幡神社、ふたつの神社にお参りする。こんな時期だから、お祭りなんてどうなのよという感情だってないことはないけど、どっこい、ぼくの住む高田島って集落は、去年の春からお祭りをやっていた。去年の春は15人の参列者だった。今年は何人集まるやら、さて!?
集落のお祭りだから、あんまりヨソ者は混ざらない。だけど混ざっちゃいけないのかといえば、そんなことはない。区長さんにおうかがいしてみたら、大歓迎だってことなんで、お誘いしたのが、山下和正先生だ。
投げ餅。みんな子どもみたいに餅をとりあう。ぼくも議員さまの目の前で餅をひとつ奪ってやった
山下先生は建築家で、今検索して知ったのだけど、銀座の数寄屋橋の三角屋根の交番も設計されたらしい。先生はうちの集落の外れの、村の中心地に一番近いところの山奥に、すてきな別荘をお持ちである。将来、隠居したらこちらに定住する予定らしいけど、なかなかお仕事が片づかなくて隠居ができない(見た目はおじいさんだけど、実はまだ若いんだろうな、お元気だし、なんて思っていたら、10年前に隠居されてもいいお年だった。お若い!)。
先生のところには何度かお呼ばれして、ご自慢のおうちで快適な時を過ごさせてもらった。亜鉛閣というその別荘は、冬暖かくて夏涼しい。冬は昼間のうちに暖かい空気を床下にためて家の中に循環させる。夏は夜間の涼しい空気をたくわえて家の中を冷やす。あったかい空気は室外に排気する。先進のエコハウスだ。去年、そういう話を聞いたとき「ベントするんですね」と聞いてみたら「そうそうベントですよ」とにこりともせずにお答えになった。くわしい機構はともかく、そんなこんなで1年中快適で、1年中少量の電気を使うかわりに、暖房や冷房をがんがん使うということはない。
初めてお訪ねしたのは夏だった。そのときは、たまたま村に到着したときに先生と出会って、そのままおうちにおじゃますることになったので、先生にとっては久しぶりに別荘の扉を開けることになったのだけど、エアコンが入っているのかと思った。ひんやりと涼しい。すごいなと思った。
週末、先生からSOSが入った。テレビが映らないという。以前、テレビを動かして配線をしなおしてさしあげたことがあったから、そのときになんか失敗しちゃったかなと罪滅ぼしのつもりででかけていったのだけど、そしたらなんとまぁ、先生んちのテレビは地デジじゃなかった。東北地方はまだ地デジになってないと思っておられたそうで、そりゃ映らないわと話は終わった。久しぶりの先生の家は、実は漏電ブレーカーが落ちていて、停電していたそうだ。電気がつかずに、一時はロウソクで一晩明かさなければと覚悟したとき、ブレーカーの存在を思い出してことなきを得た。でも自慢の循環システムも止まっていて、その晩はちょっと寒かった。教訓は、電気は大切です、なのか、家はなるべく空けちゃいけない、なのか、さて。
山から下りてきます。お祭りらしいシーン
さてさて、その晩は、ぼくがなぜこんな片田舎から逃げずに暮らしているのかというところを、山下先生に聞かれたので、あーだこーだとご説明申し上げた。いろんな理由はあるけど、一番大きいのは人間の存在だ。ここの人間、ぼくにとっては国宝級にすてきなひとばかりだから、原発が爆発しようとなにがあろうと、この人たちがいる限り、ぼくはここにいると。これは、しばらく腰を据えて滞在して、土地の人と話をし、酒を飲んで一緒に酔っぱらわないとなかなかわからない。
そうそう、ちょうどあしたお祭りがある。このご時世、村ではすっかりお祭りどころではないのだけど、村の外れのぼくらの集落だけは、去年から欠かさずお祭りをやっているのだ。去年の春は、たった15人の参加だった。秋には50人以上が集まったはずだ。川内村の中心地からクルマで10分ほどかかるぼくらの集落は、川内村の中でもイナカで山奥とされている。でもそれだけ、この地域の団結は強い。日常的には「あそこんちの誰それは性格が悪い」「あいつにはひどい目にあった」と悪口ばっかり言っているが、それはそれ、これはこれ。少なくとも、民主党よりははるかにまとまっている。
で、山下先生をお祭りにお誘いした。先生、集落の外れに別荘があって、これまでは(当然だけど)常磐高速富岡インターから別荘入りしていたので、あんまりぼくらの集落にやって来る用事がない。集落のみんなにもあんまり会ったことがないというから、せっかくここに高いお金を出して別荘を建てておきながら、それはたいへんもったいないと思ったのだった。
もっとも、イナカのおっさんおばさんの魅力というのは、誰にでも通じるものじゃないから、はずすこともある。山下先生に「なんてところに連れて行ったんだ」と責められるリスクもあるし、村人からは「おまえの連れてくるセンセーはろくなもんじゃねー」とつるし上げられるリスクもある。紹介しちゃったから、ままよ、という感じではある。もちろん、そんなことならない自信は、ぼくにだってある。
神楽さまに食べてもらうと、いいことがあるらしい。場違いに色っぽい娘がいるけど、中身は根性の入ったムラビトなのだ。見習う点は数多い
朝9時、お祭りがスタートする頃、先生のご一家がやってきた。いつもなら笛を吹きながら行列をして山のてっぺんまで登っていくのだけど、今日は神官様も呼んでないので、お祭りとしてはいたって略式でおこなう。でも山登りが好きな先生の奥様と息子さんは、参道から登るというんで、登山口までお送りして、ぼくと先生は裏口へまわった。横着したい人のために、5年ほど前に草地から最短距離で登るルートをつくって、そこに階段が設置してあるのだった。
出発前にビールで乾杯しちゃったし、階段を登った頂上の八幡様ではお神酒と称してまた乾杯だし、朝10時にして、すっかり酔っ払いなのである。「お祭りといっても酒飲みみたいなもんだから」というのは本音でもあるし、しかし酒飲みこそお祭りの本懐ではないかという気もする。
集落には、大きな神社がふたつある。いつもは午前中にこっち、午後にあっちの神社にお参りをするのだけど、今回はあっさり、午前中のうちに両方のお参りが完了した。ということは、お昼からはずっと、酒を飲むことになる。しかも朝いちでちょっぴりビールで準備体操しているし、なかなかハードな一日となりそう。お参りというより修業です。
この日は、先生のご一家の他に、最近この集落がお気に入りの「トテチータ・チキチータ」の映画スタッフのお嬢さんふたりもやってきた。遅れてやってきたので、八幡様についていきなり駆けつけ参拝、みんな挨拶したから、おまえも自己紹介しなさいと挨拶させたら、なんの疑いもなく挨拶してくれた。素直な若者のことは、少し意地悪なおっさんたちも大好きだ。なに、意地悪をするのは愛である。
山下先生のことは、そこに東京の先生が住んでいるというのはみんな知っている。でも集落のみんなの前に出てくることはあんまりなかったから、どんな顔をしているのかは知らない人が多かった。山下先生の別荘には、昔そこに住んでいたとか、山を所有していたとか、そういう人もいる。そんなみんなが次々に先生に話しかけてきて、盛り上がっている。お誘いして、よかったみたいだ。
八幡様の参拝のあと、そのまんま山を下って諏訪神社へ回り、神楽が舞う。神楽は代替わりしてキンちゃんが踊っていたのだけど、本日はご都合がつかず、本日は師匠のマスさんの舞いが見られた。地震の後、今回で3回目のお祭り。参列者は、それでも少しずつ増えている。元通りになるには子どもが帰ってこなくちゃいけないけど、それまではがまんだ。
いつもは1日がかりのお祭りだけど、今日は半日で終わってしまったので、以後は酒の席になった。お昼っからだから、なかなか過酷な酒の席だ。このあたりの人は本当に酒が好きだ。酒の味が好きなのか、酔っぱらうのが好きなのか、それとも近所のみんなとわいわいやるのが好きなのか、なんだかわからない。でもこの酒の輪の中に入れれば、こりゃなかなか楽しいと思われる。
はじまりはじまり。宴の時間
それでもちょっと気になるのは、酒が弱くなった人が多いってことだ。そりゃ、みんなそれなりにお年だから、そろそろお酒も控えたほうがいいのだけど、震災以来、なんとなーくテンションが上がらない結果だとしたらいかんなぁと思うのでありました。ぼくの私見ではね、避難所では禁酒のお達しがあって、酒飲み友だちがばらばらになって飲むチャンスがなくなって、お酒も練習してないと下手になるんじゃないかと思ったりして。お祭り復活を機に、ちょっとずつお酒も復活してくるといいなぁと思う。いや、ほどほどに。ほどほどのレベルが、ちょっとちがうけど。
山下先生は、いつのまにかいなくなっておられた。空気があわなかったかな、申し訳ないことしたかなと思ったら、ご飯食べているうち、山下先生の土地に思い出のあるばあちゃんとかと出会って、何人かを引き連れて山の別荘にお連れしていたそうだ。こんな出会いがあるのも、ムラの祭りならではだと思う。
実はそういう話は、翌日先生から電話をもらって知った。ぼくはといえば、みんなよりはるかに練習が足りなくて、すっかり寝入ってしまっていた。起きたら、50人以上の宴は、たった5人ほどになっていた。集会所をざっと片づけて鍵を返しにいったら、誰よりも酒が強いタカちゃんも早々と寝てしまったという。これだけ急速に酒が弱くなっているのはこの集落的には大問題だ。個人的には放射能の除染より、こっちの方が急務かも、と思ったりして。
愛すべきマスさんの演目。これを見ないと祭りは終わらん
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2012年04月27日
そんちょー選挙
4月半ばをすぎて、急に(少し)あたたかくなりました。実はこの冬、うちの水はすっかり凍っていました。水道管あたりが凍って破裂したりするのはよく聞くけれど、地中に埋めたホースの中で凍ってるのが判明して、手も足も出ないということになった。どうも今年はすっかり寒くて、マイナス20℃くらいになった日があったんですね。その日に水を出してればよかったんだけど、ちょうどおでかけしてしまった。それが敗因でした。水が出たのは、雪が溶けてからほぼ1ヶ月くらいたった4月の10日くらいでした。そして4月22日は、川内村村長選挙の日でした。
村長選挙の日、ぼくは全日本選手権の取材で奈良にいましたんで、期日前投票ってのをしました。ぼくより先に期日前投票に行った友人によると、投票用紙を渡されて鉛筆で名前を書く後ろに、立会人がずらりと並んでいるで、書いてる後ろ姿だけで誰に投票したか、わかるよね、って感想だった。わかるかもね。でも直接投票の現場にいなくたって、誰に投票したかは知れてしまうという話もある。ご近所の動向はけっこうなんでも知れてしまうお隣近所だから、誰に投票したのかも知られているのかもしれないけど、最近は、それもよきかな、という気がしています。都会と田舎では、セキュリティの考え方もちがうのだしね。
村の村長選挙は、4年前の前回は無投票で現職の再選が決まりました。現職というのは、テレビで全国的に有名になった遠藤雄幸さん。お父さんはその前の前の村長さんだったから、まぁ、ブッシュさんみたいなご家系です。
その村長が帰村宣言をして、役場が村に帰ってきて、日々どたばたしている村で村長選挙というのは、なかなか忙しそう。また無投票でもいいんじゃないかと思ったけど、村の行方はきちんと選挙で問うべきだと思う正義感の持ち主もいらっしゃった。すばらしい。対抗馬にはお二人が立ちました。
ひとりは、前に村議をやっていたご婦人。議会で懲罰委員会にかけられたりというのが有名な人だった。それ以前は、村の中では言っちゃ言えないようなことをじゃんじゃん発言して、気合いの入ったおばさんだなぁと思っていました。そういえば彼女とは、大熊のプラント4(安売りスーパー)でばったり出会ったことがあったなぁ。最近では、原子力発電所では作業員が何千人と死んでいて、それを東電や国はないしょにしているという話を公開して話題を呼んでいました。彼女は、川内村は全村西日本に避難するべき、というスローガンです。
もうひとりは、前回村議会議員選挙で初めて村の選挙に出て、獲得票45票で落選した人。村議会議員になれなくて村長になれるなんてことがあるのかと心配しちゃうけど、当の本人はどう思っているんだろう。でも大阪府知事をやめて大阪市長に立候補しなおした人もいたから、いろんな人生があるんだろう。この人は、ぼくの住んでいるところと、村の反対側にお住まいなのもあって、どんな人なのかさっぱりわからない。まわりの人に聞いても知らないという。選挙広報にも、経歴は書かれていなかったから、謎の人のまま選挙になった。
今の(というか選挙以前の)村長には、なかなか批判も多かった。帰村宣言なんて、なんて早まったことをしてくれたんだ、というのが多くの声。ぼくなんかは、役場が帰ってくるのは1年遅いと思ってるクチだけど、これも批判のひとつ。早くても遅くても批判を受けるんだから、村長もたいへんだけど、そういう役職でもある。
批判をしているだけの対立候補というのはパンチがない。そういう点で、ご婦人候補の西日本移転というのは、それなりのご意見ではあった。しかも彼女には、古い村の体質を一新する、原発20kmで放射能にさらされながら生活している子どもたちを救え、という正義があって、これを応援する人もけっこういたみたいだ。たいてい、選挙権のない、村の外の人たちだったけど。ちなみに有権者数は2481人だった。村の人口は3000人を切っているから、20歳未満がいかに少ないかということでもある。
現職村長は、なかなか一生懸命選挙活動をしていた。報道陣にも追いかけられるから、半端な活動はできなかったということもあるんじゃないかと思うけど、これはぼくの勘ぐり。議会の中でも反村長派は少なくないということだから、彼らが一致団結したら安泰ではないという危機感もあったのだと思う。
そんなだから、現職1433票、謎の人443票、ご婦人79票という選挙結果(投票率82.43%)は、おおむね当然の結果のように思える。謎の人が謎じゃなく、顔と政策をもっと表に出して活動していたら、もっと票は伸びたんではないかと思うし、謎の人が443票とるというのは、彼を応援する勢力はあったのだなと思う。ご婦人の79票については、正直びっくりした。結果について、村の既得権益は強かった、古い習慣を打ち破れなかった、川内村はもうダメだ、みたいな論評を(ごく一部で)見受けたりもするけど、そういうことを言っているのはご本人と、川内村に縁のない人ばかりじゃないかと思うのでありました。
誰かが当選したら、他の誰かの采配は見られないわけなんで、ほんとうのほんとうは誰が村長だったらいいのかはわからない。多数決で進むというのは、そういうことなんだと思うけど、ただ今回教えてもらったのは、有効得票数の1/10をとれないと没収になる供託金は、国庫に入るということだ。で、選挙に必要なお金は、村の予算から捻出されるという。一説によると、村長選挙に必要な費用(おのおのの選挙活動ではなく)は500万円だそうだ。村は500万円の支出でお国は50万円の収入。正義のために必要なお金だったのか無駄なお金だったのか、世の中のものさしは、むずかしい。
写真はもちろん、村長選挙なんてどこ吹く風、選挙戦の1週間後からあちこちで泳ぎ始めたこいのぼり。見ればわかりますね。でも子どもが激減したこの村のこいのぼりは、いろんな主張をしているように思います。
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2012年04月20日
モニタリングポスト
4月1日に、村役場がもともとの村に帰ってきました。村長の「帰村宣言」を受けてのことなんだけど、これにはいろんな意見がある。「帰村なんて時期尚早」「村長はだまされている」「村長は人殺し」。かたやぼくなんかは、もっと早く帰ってくればいいのにと思っている。いろんな意見があるもんだ。
で、村が帰ってきて、いろんなことが進んでいる。とりあえず、今村のあちこちにこんなモニタリングポストが建っている。もちろん、放射能を測る装置だ。
こういうの、去年の3月の時点であったら、いろいろ対処ができたと思うし、悩まなくて済むことも多かったんじゃないかと思う。
同時に、村人には一家に1台、みんなに線量計が配られた。これも、1年前に配布されてたら、みんな心強かったろうにと思う。まぁ1年前に放射能測定器を村人全員に配るなんて、線量計の供給の問題からもむずかしいし、その予算をどこからもってくるかもむずかしかったろうと思うのだけど、個人だったら緊急事態には借金してもなんとかするという選択肢があるんだけど、行政というのは、そういうどたばた判断はむずかしいんだね、やっぱり。
お役所仕事が時間がかかるのは、しかたがないと思います。こういう突発事件の対処は、一番苦手な分野だから。なので今日は、そういう話はやめておこうっと。
モニタリングポストは、文科省が設置していった。で、こいつが測った数値は、誰でもがリアルタイムで見られるようになっている。それがこのページだ。
このリンクを開くと、文科省のモニタリング情報ページが開くから、測定地点に「福島県:相双」「川内村」と入れてエリア移動をすると、地図の右に川内村の測定値がずらりと並んだ画面が出てくる。
特定の測定場所をクリックすると、地図が大きく表示されるから、この数値を示しているのはどこかなぁ、なんて測定場所を特定することもできる。そしてその場所をブラウザ上で保存しておいて、後日、またチェックもできる。
こういうお国のモニタリングポストに対して、ものいう人もいた。曰く、モニタリングポストが示す数値は低い。徹底的に除染したところに、厚い鉄板を敷いてから設置している。周囲では、もっと高い数値がじゃんじゃん出ていると。
お国のモニタリングポストが低い数値を示すというのは、ぼくも感じている。といっても、安物の自分の線量計の数字と比較してのことだから、どっちが正しいのかはよくわからない。一般的には、素人が調達した安い線量計より文科省が設営したものの方が信用されてふつうなんだけど、いまどきはお国がやったことは信用できないというのが定説になっている。ややこしい世の中になったもんだ。
モニタリングポストの数値が低くて怪しい、と声を上げる人たちは、これは国の陰謀だというのだけど、ぼくはそんなことはなかろうと思ってる。徹底的に除染をして、というのは言い方の妙だけど、除染をしたのはほんとう。モニタリングポストは公共の土地に立っている。個人の庭に立てるのは、いろいろめんどくさいことになるだろうしね。で、公共の場所は、実験の意味もあって、真っ先に除染の対象になった。徹底的にやったかどうかはわかんないけど、少なくとも、うちの集会所の除染は、地域のみんなが動員されてやった。言われたことはやったけど、特に念入り、というわけではなかった。下に厚い鉄板は敷いてある。厚い鉄板はβ線を遮断するかもしれないけど、あんなでかいもの、厚い鉄板なしで設営されたら、倒れてくるかもしれないから、鉄板はあった方がいいと思う。
陰謀だと思ってみると、ふつうのことも陰謀に見える。もちろん陰謀なのかもしれないけど、やってることはともかく、今、行政のみんなは相当に忙しい。国民をだます陰謀なんか画策しているヒマがあったら、たいしたものだなぁと思うのであった。
しかしこれを見ると、帰村を宣言した村長が人殺し呼ばわりされてしまう川内村の放射線値は、けっして高くないことがみんなにわかっちゃう(そういえば、ただいま村長選挙の真っ最中だ。ぼくは一選挙民という以上には選挙にかかわっていないけど、選挙についてはややこしいから、選挙が終わってからのお話にします)。暗中模索で、あぶないんじゃないか、死ぬんじゃないか、いやたいしたことないんじゃないかとおたおたしていた去年の今ごろが、遠い過去のように思えてくる。
一家に一台配られたのは、こんな機械だ。最近では、エステーが5,000円くらいで買える測定器を発売していたりして、ずいぶん買いやすくなった。こんなものが買いやすくなって、誰もが持っている国とは、なんとへんてこな国なんだろうと嘆く人は多い。ぼくもちょっとはそう思う。
でも。日本には原発が50発以上あったというじゃないか。しかも原爆も2発落とされている。水爆実験の犠牲となった人もいるし、バケツで臨界を起こして亡くなった人もいる。なんだかんだと、核の恐怖は感じている。ぼくらは数十年前にさかのぼって、一人に1台、線量計を持っていなきゃいけなかったんじゃないのかな? なぜ持ってなかったか。安全だと思ってたし、お国に任せておけばいいと思ってた。そういうあなた任せの平和ボケが、今の事態を招いているんじゃないかと思ったりもしているわけです。
まぁともあれ、村が配布した線量計はこれ。富士電機株式会社製のX・γ線用シリコン半導体検出器。検索すると、行政などに向けた製品で、個人では買えないらしい。こんなことするから、陰謀みたいに思われちゃうんだよね。ほんとに陰謀かもしれないけれど。
で、ぼくの9,800円と比べてみた。ぼくの9,800円は、オープンガイガープロジェクト(http://opengeiger.com/)がつくったもので、その後、ガイガー福島(http://eigyoshientai.jp/fukushima)というメイドイン福島のガイガーカウンターにも採用されたもので、ぼくのはその最初期型で、基板だけで販売されたものだ。
机の上で、なんとなくスイッチをオンにすると、やっぱり役場のほうが低い数字を示す。あー、やっぱりなんて思っちゃいますね。でもしばらーく数字を見ていると、上がったり下がったりふらふらしながら、なんとなく同じような数字になってくる。DOSEeのほうはβ線を検出しないみたいだから、それで少し数字がちがうのかもしれないし、シリコン半導体検出器とガイガーミューラー管を使った検出器のちがいかもしれない。いずれにしても、このくらいの数値のちがいは、こんなもんだと思わないと、やっていられない。庭を散歩したりすると、ところにより高かったり低かったりで、いろんな数字を出してくれるから、数字は落ち着かなくてふつうだと思ってます。
で、このDOSEeってやつ、定価だと8万円もするんだなぁ。そんなに高く測ってないという話だったけど、村には1000戸弱の世帯がある。1個1万円としたって一千万円。これだけで5千万円くらいのご予算になっているんだろうなぁ。まぁ次になにかあった時のことを思えば、高くないともいえる。
そういえば、役場の広報には「有事の際の対処について」みたいな項目があった。有事とは、北朝鮮が攻めてくることじゃなくて、ぶっ壊れかけた第一原発がもう一回致命的にぶっ壊れて放射能をまき散らすことをいう(にちがいない)。
お国では収束したと大喜びしているけど、とりあえず村が、ちょっとばっかり有事対応をしているというのは、いい材料がない昨今にあっては、すこーし救える話なのであった。
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2012年04月01日
川内村の解禁日
警戒区域でけなげに育っていた山羊さん
4月1日は、川内村の解禁日でした。朝はいいお天気で、ちょっとあったかかった。昼過ぎに雲が出てきて、そしたら雪が降ってきた。雪というか、氷というか、急に寒くなった。それからまた日が差してきて、でも寒いまんま、一日が終わりました。
今日は四月バカの日だけど、今日へたにうそをついたら、それは冗談では済まされなくなるような気がします。そういえば、去年の4月1日は、とてもエイプリルフールなんて、まるで忘れて過ごしていたなぁ。エイプリルフールなのにうそがつけないなと思えるようになっただけ、今年は日常が戻ってきたということかもしれない。
ということで解禁日だ。通常なら、この日は川のあちこちに釣り客があふれている。でも今年はまばら。いることはいるんだけど、こぞってやってきたという感じではない。いつもだって、やってくるのは海沿いの釣り好きのことが多かったから、このご時世、そうそう釣りなんかしていられないのかもしれない。
去年今年と、漁協は放流をしていない。だから魚はいないかもしれないけど、でも釣りをしている人も少ないから、大きいのが育っているかもしれない。今年も去年同様、釣りは自己責任で釣りたいやつは勝手に釣れ、魚がいなくても知らないぞ、釣った魚が高濃度に汚染されていても責任とらないぞ、ということらしい。
朝、早速釣りに出かけたお隣さん。写真を撮った時点ではまだ始めたばっかりだったけど、そういえば釣れたのかな? 釣果を聞いてないや。釣れたのがあったら、ぜひ測ってみなくちゃいけない。
しかして、本日の解禁日は、釣りのお話ではない。本日は、川内村の全域で警戒区域が解除された。今までめんどくさい手続きをして自分の家に帰る許可をもらっていたけど、今日からは好き勝手に帰ることができる。ただし、宿泊はだめらしい。なんだそれ? ラブホテルじゃあるまいし、宿泊と休憩の区別はどうやってつけるんだろう? 昼夜逆転した生活をしている人はどうするんだ。一晩中、村の中をほっつき歩いていたらいいのか? お役所が決めることは、どうも現場とかけ離れていて、よくわからない。
ということで写真は、これまでの検問から5kmほど富岡に近づいたところに設けられた今日からの検問所。近寄っていったらお巡りさんがやってきて、ここから先はいけません、という。重々承知しております。取材ですか? いえいえ、ただ写真を撮って、遠くに避難している友だちに現状を見せるだけです。一応免許証を……。なんて話をしていたら、もちっと上司っぽいひとがやってきて、なんの規制もありませんから、ここから先に入ってくれなければかまいませんよと、せっかく免許出したのになにも控えずに釈放されました。今度はもう少し怪しいと思われるかっこうで行ってみなきゃいけないかな(一晩中うろうろしてみるとか?)。
警戒区域が解除になったといっても、特に線量がばっちりさがったわけではない。クルマの中で測りながら走った限りでも、まだまだ3.0μSv/hくらいのところはある。こういうところでは、除染作業で出た汚染物質(というほどのものかどうか、ぼくには疑問)の借り置き場をつくったりしているけど、そのすぐ近くのおうちに帰ってくる人たちがいる。
このエリアは、放射能の検査をしていて、玄関に「検査済み」なんて紙が貼ってある。と思ったら、知り合いのおうちにはこんな紙が貼ってあった。なにが要注意なんだろう? 家の中に高い放射線を出す物質があると言うことか、それとも除染の際には気をつけないと、高圧洗車で壁を洗うと壁が抜けるぞ、という注意なのか、もしかしたら要注意人物が住んでます、という意味なのか。これも要取材です。
近くを歩いていたら、まず白い服を着た人がこんにちはと寄ってきた。この人は除染のあと、線量を測る担当の人。そしたらそこをツーリングしているライダーも通りかかった。加曽利隆さんのお知り合いらしいので、もっとお話したかったけど、通りすがりということでお別れしてしまった。ご縁があれば、きっとまた会えるでしょう。解禁日のツーリングとは、なかなかオツだなと思いました。
線量計測の人は、サーベイメーターをふたつ持って歩いていた。ひとつ40万円だそうだ。あちらは、ぼくの9,800円のやつに興味があるらしい。測ってみたら、どっちも同じような値を示した。1.72と1.68。まずばっちり正確、ということにしていて大丈夫かな。ちょっとまじめに付け加えれば、ガイガーカウンターは数字がでかい時にはだいたい安定した数字を出すんだけど、数字が小さい時(安全な時)は不安定になるものなんで、このあたりこそ9,800円の本領発揮の場所なのだと思う。
道を走っていると、イノシシとおいかけっこ。この写真、なんかサルみたいに見えるけど、イノシシです。警戒区域では人がいないので、イノシシが昼間でも平気で歩いている。去年の3月以前、ぼくは昼間にイノシシを見たことがなかった。あれ以降、けっこう見ます。
イノシシも、これまで動物の天下だった界隈に、突然人間が舞い戻ってきて、大慌てしていることだろう。
イノシシとおいかけっこをしながら登った先に、海が見える丘がある。ここ、以前にも紹介したけど、第一原発が見える。500mmくらいの望遠レンズがあると、もっとはっきり見えるでしょうね。まぁ見てもしょうがないという気はするけど、間近で見る勇気がない人には、ちょうどいい距離かもしれない。
そしてあした、川内村には1年2週間ぶりに、バスが来る。船引駅と小野新町駅からの2方向から。村にあるバスの車庫には、新車っぽいバスが2台入っていて、復興バスというお化粧もしてあった。このバス、川内村専用なのかもしれない。
という、村内観光をした日曜日でした。
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2012年03月28日
"御用学者"高村昇先生の講演
放射能講演会みたいなのをやるってんで、いってきました。正直なところ、こう言うのに出席しても、びっくりするような新しい知識が得られるわけでなく、あんまり楽しいわけでもないのだけど、せっかく村役場が帰ってきて、まずは講演会でも開こうというので、サクラでもいいやと行ってみました。あんまり積極的じゃないノリで書いてますが、高村昇さんって、山下俊一さんと一緒に御用学者の筆頭に並んでるんですね。大喜びで後援会に行ったなんて書くと、ぼくも安全厨とかエア御用とかいわれるんだろうなとびびっている小心者です。
この先生、最初に「ぼくも生まれて初めて御用学者と言われました」と自己紹介した。調べたら、呼ばれただけじゃなくて、告発されているらしい。
当初は、どいつもこいつもうそつきばっかりで、国と仲良しのやつの言うことは信じられない、と思ったものだけど、そうとばっかりも言っていられなくなった。いや、国と仲良しのやつの言うことは信用できない、というのは基本的には変わんないけど、国と仲が悪い人の言うことはすべて正しいということもないはずなんだけど、そのあたりが、今の世の中はよくわからない。
感情論でいえば、お国(とか行政とかお役所とか、まぁ、体制側、というやつ)はろくなことをしなかったと思う。そして今も、迅速に誠実にできているかというと、はなはだ疑問だ。これに対して反体制派は(と、ひとくくりにするのもよろしくないのだけど)エジプトの革命とか、海外の威勢のいいのを見せられていて、次はおれたちの番だと鼻息が荒いのかもしれないけど、なんにしても、個々の事象を検証しないで十把一からげにOKだったりNGだと決めるのは、一応総玉砕の時代の発想となにも変わっていないと思うのだ。
ということで、この高村昇という先生、巷では同じ長崎大学の山下俊一という先生が(御用学者としても)有名だが、こちらはずいぶんお若い。そしてこういうのは、きっとショウユ顔のイケメンというのだろう。でもイケメンかどうかは、この場合どうでもいいのだ。
それにしても、放射能講習会の類いは、いつでも放射能と放射線、放射性物質とはなにか、みたいな解説から始まる。もう知ってるっちゅうにと思うけれど、わかってない人が多いのかもしれないし、もしかするとぼくなんかも、わかってるつもりになっててからだで理解してない部分があるのかもしれない。次にくるのが自然放射線の話だ。インドとかイランで、とんでもない放射線値が記録されている場所がある、というお話。これもどっちかというと聞き飽きた。でも、世界にはいろんなところがあるんだなぁという点では、何度聞いても新鮮だ。そして日本にも、自然放射線はうようよしているということ。人間の身体にもカリウム40なる放射性物質は含まれていると。もちろん空気や大地や食べ物や、ありとあらゆるものに存在している。まぁこれも、周知の事実だ。
ただカリウム40については、原発由来の放射能を語る時には話から除外されているから、そんなものがあるということは忘れてしまっている人も多いんじゃないかと思う。だからほんのちょっと人体からセシウムが出たとなると命にかかわる大事件として騒ぎ立てることになっちゃうが、カリウム40は人体から常に(たぶん何億年も前から)何千ベクレルも出ているのに対し、放射性セシウムは最大でも人体まるごとからせいぜい1000ベクレルくらいで、事故から1年経った今は多い人手何百ベクレルくらいという数字になっている(らしい)。
単位をまちがえてびっくりしたり(7Sv/hだとたいしたことないように思えて、70000μSv/hといわれるとすごい数字だと思ってしまう。7Sv/h浴びると即死。70000μSv/hなら、とりあえずすぐには絶対死なない)、今漂っているのが全部原発由来の放射性物質だと思って、ちょっとでも放射性物質にぶつかると恐怖におののいたりする。最近じゃ、ヨウ素131が出たと大騒ぎしている人たちがいたけれど(ヨウ素はついさっき核反応したときに出るものだから、こんなのが出たということは、またまた原子炉が爆発したんじゃないか、ということになる)、これは鉛212というそのへんによくある放射性物質とまちがえちゃったというのが真相らしい。世の中には放射能がいっぱいあるという覚悟で臨めば、あわてるときにももうちょっと周囲が見渡せると思うのだけど。
すいません。こういう話は高村先生の講話の中にはなかった。ぼくの聞きかじりです。先生からもらった資料の中でおもしろかったのは、火星で3年間暮らしたらどれくらい被爆をするか、月だとどれくらいか、その場合、遮蔽された環境にいたらどうか、なんてデータがあることだった。そんなの示されてもちっとも安心にはつながらないと思うし、先生もわざわざそのデータは読み上げなかったけど、学者の先生というのは、いろんなことを考えているもんです。
この先生は、長崎で生まれて長崎の大学に通った。長崎大学ってのは、爆心地のすぐ近くに建てられた学校で、若いとはいえ、長崎原発は避けて通れない。原爆は一瞬でたくさんの人を殺したけれど、あれは強い放射線による殺人だった。原爆はピカドンといった瞬間からキノコ雲がもくもくと上昇していくけど(見たことはないけど)、放射性物質はあのキノコ雲に含まれていて、地上にはあんまり落ちてこなかった(ぜんぜん落ちなかったわけじゃない)。原発の事故は、いきなり死ぬほどの強い放射線はないけど、爆発してそのへんの空にばらまかれた放射性物質が雨に運ばれてそのへん(東京とか静岡あたりまでも含む)に落ちたから、原発と今回の事故をいっしょに考えるのは無理がある、というお話だった。
先生によると、1シーベルト浴びると遺伝子がちょんぎれちゃうんだそうだ。1シーベルトなんて、たいてい浴びない。でも何ヶ月か前に、ひょっこりうちの村に現れた東大病院のお医者さんは、自分はカテーテル手術で放射線を浴びながら手術している、その線量は1日で何シーベルトになることもある、という身の上話をしてくれた。患者は手術中だけだけど、お医者さんは次々に手術に立ち会ったりするから、なかなかの被曝量になるんだね。たいへんなお仕事だ。
で、1シーベルト浴びて切れた遺伝子は、たいていの場合、数時間で修復する、らしい。人間だけじゃなくて馬にも牛にも、高等動物にはこういう機能が備わっていて、壊れた遺伝子を自分でなおすんだそうだ。そして遺伝子は、たいていの場合、きちんと修復する。でも世の中にはまちがいということがあって、ときどきなおらない。おかしな遺伝子が現れる。おかしな遺伝子は、人間におかしな作用をすることもある。癌細胞を作ったりって話になるんだけど、でも壊れた遺伝子は、生命力も失っていて、人間に悪さをする前に絶命してしまうことも多いんだという。だから遺伝子が壊れることで、なにかの影響が出るのは、ずいぶんと確率が低い話だ。
そんな中でも、分裂が盛んな若い細胞は、放射性に対する感受性が高い。受精したばっかりの卵もそうだし、大人より子どもの方があぶないというのはそういうことだ。そして意外や、髪の毛というのは細胞分裂が盛んな臓器らしい。だから放射能の影響ではげちゃうんだそうだ。へー。
と、こんなふうに概論をしゃべってるうちは、先生はきはきとお話になるんだが「うちのイワナは大丈夫け?」「キノコはいつから食べられるべー?」という質問になると、うーむになってしまうのだ。わかんないんだよね。そんなの。だれにもわからないと思う。先生曰くは「測ってみないとわからない」。
結局、わかんない、ということなのね、と講話を聞いていたおばちゃんは、少しがっかりしたようにつぶやいた。「川内村のキノコは絶対安全です」と言ってくれれば、それはそれで少し安心になる。「キノコ食べたら即死します。絶対食べないでください」と言われれば、それはそれで方針が決まる。でもどっちでもないから、始末に困る。
「キノコ好きだったら、孫にはやらず、年寄りだけでこっそりおいしく食べちゃえばいいじゃない」
と、ぼくはアドバイスしてみるのだけど、どうもぼくのアドバイスは冗談にしか聞こえないみたいで、みんな「いやー」と不安そうな顔をする。キノコ、1日に2kgも3kgも食べたらどうだかわかんないけど、そんな食べ方はしないでしょ。そういいつつ、ぼくの冷蔵庫には、1200ベクレル/kgのイノシシの肉が入っている。食べるのがこわいというか、わざわざ食べてみようという気にならないだけだけれども、やっぱり意気地がないんじゃないかと言われれば、弁解の余地もない。
質問をしてみた。川内村の人は、これから先、100人に5人くらいは癌になったりすると思う。それは統計上、ふつうの数字なんだけど、癌になった時、あー、川内村に住んでたからなぁと思ってしまう気持ちには、フタができないと思う。そういう将来への不安に対して、どうすればいいのだ、と。
答えはありませんでした。むずかしいですねー、みたいな。むずかしいのだ。そして先生は「できることは、情報を出し続けて、観測を続けることだ」とおっしゃった。そう言われてもあんまり安心にはつながらないんだけど、でも観測して情報を出すお仕事、国や行政はしっかりやってほしいもんだと思う。
村には、学校や集会所など、公的スペースを中心に、モニタリングポストが設置された。太陽電池で、ずっと放射線値を計測している。文科省のサイトを見ると、すべてのモニタリングポストの数値を閲覧もできる。1年遅いぞという気はするけど、やらないよりはずっといい。
モニタリングポストは除染したところばかりにおいてあるから信用できないという反体制派のご意見も聞くけれども、うちの集会所より5倍も高い数字を示しているモニタリングポストが郡山駅前に立ってるし、全体的には情報操作なんかしてるヒマはないと思われる。公共の施設は実験として早く除染が始まったから、よそより線量が低いのはまぁあってしかるべきことだ(逆に除染したのにうんと高かったら、夢もチボウもない)。
そんなこんなで、高村昇という先生が御用学者かどうかは、お話を聞く限りでは特定できなかった。ぼくはこの人を告発しようとは思わない。放射能被害は、どうなるかわからない、という現在のデータをきちんと広めてくれればそれでいいと思う。なにがなんでも「放射能はほんのちょっとでもすげー危険」と思いたい人も多いと思うのだけど、ぼくはそうは思わない。でもだからといって、放射能をばらまいた社会的国際的罪は、これっぽっちも酌量されることはないはずだから。
ところでね、こんなふうに、将来病気になった時に、川内村に住んで損しちゃったなと思う人、必ず出ると思う。だから村には住まないことにしようという意見があるのもわかるけど、今の数値を見る限り、川内村で住めなかったら日本の1/3くらいは住まない方がいい地域ってことになっちゃったりしないだろうか。
いえいえ、だから住むしかないだろうとまるめる気はない。被曝保険って作ったらどうかなと思ったの。因果関係がわからないだろう低線量被曝を受けた人が、将来病気になった時は、保険がおりる。病気をなおしたりはできないだろうけど、金で解決することはできるかもしれない。被曝保険は、村に住む人にみんなかけられる。掛け金はお国が全額出してくれればいいと思うけど、いくらか補助が出るでもたいしたものだ。そしたら、病気のことは保険にまかせて、病気になるまで楽しく暮らそうと開き直れる人が、村にやって来るかもしれないなぁと思ったりした。
保険会社の人、これを見ていたら、ぜひ商品化して、厚労省とか復興庁とかの大臣に掛け合ってください。お願いします。
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2012年03月19日
399ドリーム
むずかしい話の続きを書かなきゃいけないのだけど、めんどくさい話は横へ置いておいて(こんなのが山積みになっている)、国道のお話。
川内村には、いわき市平から国道399号線というのが通っていて、これが川内村唯一の国道なんだけど、これが素晴らしい道で、国道とは名ばかり、酷道と呼ぶにふさわしい。
ちょっと前になるけど、村の頼もしき女性たちが、この国道の整備の陳情に県庁まで出かけてきた、というお話です。
いわき平から川内村に行くとすると、従前、もっともメジャーなのは常磐高速を常磐富岡インターまできて、そこから山道を20分走るルートだった。ただしこの常磐道は片側1車線で、どんくさいクルマの後ろについてしまうと高速とは名ばかりになってしまう。
そんなイラチの人のために、常磐高速と平行して、県道35号線という道があった。地元の人にはさんろくせんと呼ばれているから36号線なのかと思いきや、どうやら山麓線の模様。ややこしい。交通量も少ないしカーブもゆるやかなので、その気になれば思いきり飛ばせる。高速道路より速い。もちろん、そんなことをしたら法律違反なので、やってはいけません。ぼくもこの道をのんびり(断じてのんびり)走っていたら、村の駐在さんとすれちがって挨拶されてびっくりしたことがある(なんであんな道を走っていたんだろう)。悪いことはできない。いや、断じてのんびり走っていたのだけど。
もう一方、磐越道に出て小野新町から平へ出る選択肢もある。こちらは二車線あるので少しはスムーズ。でも小野町へ出るには、富岡への道よりさらに険しい山道を走らなければいけない。そして、時間もかかる。
多くの村人は、高速料金を払うのがもったいなくて(時間も大差ないし)、川前経由の道を選んでいた。秋になると夏井川渓谷の紅葉で渋滞するような観光道路。ここを通っていくと、高速代を払うこともなく、スピード違反ができるような道でもなく、いわき平まで1時間半で到着する。
でもぼくは、国道399号線を走るのが好きだ。川前経由の道は、道はそんなに広くないけど、それなりに交通量がある。対向車に気をつけて走らないといけない(あたりまえだろー)。399号線の場合は、めったに対向車は来ない。もちろん対向車には気をつけて走っているのだけど、仮に万一、対向車のことをまったく気にしないで走ったとして、対向車に出会う確率は原発がトラブルを起こす確率と同じくらいだ。そして万一正面衝突したとしても(おそらく)スピードがそんなに高くないので、たいした事故にはならない(のではないかと期待するけど、それはやってみないとわからない)。
右に左にハンドルを切るのはくたびれるけど、元気のある時にはがんばろうという気になる。そしてがんばれば所用時間の短縮という結果で現れる。ぼくの実績では、このルートを通るのが、いわき平へ行くのには一番早い(ただし元気のいい時に限る)。
しかし今、常磐道と山麓線35号線は警戒区域にあって、走れない。となると、399号線への依存度が高くなる。でもこれが、元気のいい時のぼくがうきうき楽しい道なわけだから、ふつうなら、二度と走りたくない、ということになる。そこそこ整備されたところがあるかと思ったら、突然道が狭くなってガードレールがぶっ壊れていて川に落っこちそうになる、なんてところもあって、なかなかサバイバルな道。雪なんか降ったら、このあたりの除雪はあとまわしだから、朝イチでいわきへ行こうと思ったら決死の思いだ。
399号線を整備して、いわきまでの足を確保してちょうだい。そしたらいわきへに仕事に行く選択肢も広がるかもしれない。あるいは、避難路としても、道路の整備は必須。399号線の整備はすでに村としてもお願いしているところだけど、村のおばちゃんたちが県庁まで出向くという姿勢も大事ということだった。
村長や観光協会会長も同席して、いわき市出身の国会議員も背中を押してくれての県の土木課への陳情は、そんなわけで無事に完了した。
だからといって明日から工事が始まるわけでなし。回答としては、399号線のいわきと川内の間はトンネルでつなぐ計画があって、とりあえず測量はすでにやってるらしい。ただ、そういう計画があるのであって、いつ工事が始まるのかは、はっきりした返事はなし。その話の中で、常磐道復旧という話も出たので、もしかして、あれが復旧しちゃったら399号線の整備なんてはるか後回しになっちゃうかもしれないなぁ、なんて悲観的観測もある。
常磐道は復旧しても線量が(うんと)高いところがあるわけで、そんな道を復旧しちゃって大丈夫なのか、という心配もあるし、もし大丈夫だとしても、3月12日の避難の日、富岡から川内まで渋滞が続いたことを思うと、避難の道は何本もなければいけないという教訓は残っている。早いところ工事を進めてほしいものである。
といいつつ、ぼくは今のままの399号線が残ってくれないかなぁ、なんて不埒なことを思っている。そこに住む人にとって、ひとつも利にならないことだと思うけど、命をかけて生きる実感って、今のご時世では、そうそう感じられないものだ。冬の日に、横を向きながら上り坂でスタックの恐怖におびえながら、なんとか生還したいとわくわくしながらハンドルを握るのは、なかなか貴重な経験にちがいない。
そんなわけで、村人としては399号線工事反対、なんて声をあげるわけにはいかないので、せめて工事が進んじゃう前に、お気持ちのある方は399号線を走ってみてください。以前、CB1300に乗ってる人に「おもしろいから399号線で来てごらん」とお勧めしたら「楽しかったけど帰りはちゃんと高速で帰ります」と言われてしまった。いまのところ、喜んでくれる人5割の酷道、はたして拡張・トンネル工事は進むのか、整備される前に駆け込みでお楽しみに来る人は現れるだろうか。
あー、また脈略のないのを書いてしまいましたー。
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2012年03月09日
帰村宣言
NHKの夕方の番組が生中継に来てくれました。オトコはいらんと言われてぼくは横で見ている
この1月に、川内村は帰村宣言というのを出した。天皇さまの人間宣言みたいなたいそうなタイトルだから、マスコミはこれまで以上に川内村に注目しちゃって、今、その帰村するという4月1日を前に、村はなかなかのマスコミ銀座になっている。
それでもやっぱり、なんだか空虚な感じがする。言葉の独り歩きっていうのかな。村が思ってる帰村、国が思ってる帰村、マスコミが思ってる帰村。そして、日本中のみんなが思っている帰村と、たとえばぼくが思ってる帰村。それぞれみんなちがうような気がする。
朝日ジャーナルという雑誌がある。1959年創刊で学生運動の隆盛とともに発行部数を増加させ、1992年に休刊となった雑誌とウィッキペディアにある。その名前は知ってたけど、休刊になったのは知らなかった。92年といったら、ぼく自身が雑誌メディアに飽きていた時代だったですね、そういえば。
そんな朝日ジャーナルは、以後、ときどき増刊号として世に出ているらしい。東日本大震災のあとは、2011年3月15日号で「知の逆襲 第2弾」というのが出ているけど、これは地震が逆襲という意味ではなくて、地震とは直接関係ない(地震の後の発行日だけど、それはたまたまだ)。2ヶ月後、5月24日号で「原発と人間」というタイトルの1冊が出ている。今回はそれから1年後「わたしたちと原発」というタイトルの1冊が出た。3月9日発売。震災1周年を前に出したかったということだ。そこに4ページ、原稿を書かせてもらった。
帰村宣言をした川内村のレポートを、村の中からの視点で書けという依頼だった。もともとこのお仕事は、都路で田舎暮らしライターをやっている山本一典さんのところにやってきたのだけど、川内のレポートなら川内村に物書きが住んでるから、と話を回してくれたのだった。担当の佐藤さん(奥付けを見たら編集キャップさんだった)とは地震以来ときどき電話で様子を聞かれたりしていたのだけど、原稿書きの仕事をしたことはなかったから、なかなか冒険をされたんじゃないかと思われる。知らなかったけど、届いた雑誌を見ると執筆陣は著名人がぞろぞろといて、雑魚はぼくだけだ。「名のある人の書いたものが多い中で、村からの視点は貴重なレポートになる」とヨイショされて書いてみた。
中央の人々(内閣も議会もマスコミもみんなも)との意識や見解のギャップ、村人同士の意識や見解のギャップ。そんなのが今はそこここにある。そんなギャップを語ってみたいと思った。この1年、ずっと感じてきたことが温度差というキーワードで、それは縮まるどころか、きのうまで同じ温度を保っていた人が、いつの間にか大きな温度差を作っていることに気がつかされたりもしたもんだ。
温度差というのは、客観的にはすべての人に生じるもので、誰が基準なんかない。だけどぼく個人はぼくが基準だから、ぼく以外の温度を持っている人にはそれぞれの温度差を感じる。原稿書いてるうちに、自分が考えている温度差が正しい温度差なのか、みんなに共感してもらえる温度差なのか、不安になってきた。村長にはインタビューを申し入れて話を聞かせてもらったけど、それ以外に、村人の何人かとゆっくりお話ができたのは貴重だった。そんなこんなで自分の温度差に彼らの温度差を加えていくと、だんだん温度が混ざり合って、ふつうの温度になってしまっていく気がした。
Tさんはお酒が入ると地域について熱く語ってくれる人だけれど、Tさん曰く、ほんとうのことは国会やなんかの委員会にはなくて、こういう酒飲みの話の中にあるのだという。ぼくもそんな気がする。
朝日ジャーナルの原稿書きは、編集側からの修正要請なんかほとんどなくて、だいたいそのまんま掲載してもらった。ただ事実関係があいまいなところは、しっかりチェックしてもらった。ページになる前の校正紙をじっくり見ることなんか最近とんとごぶさただったけど、校閲のチェックの入った校正紙というのはプロの仕事というニオイがぷんぷんしていて気持ちがいい。校閲さんというのは、誤字脱字をチェックするのは当然で、出てくる数字にも神経をとがらせて、まちがいがないかどうか調べあげる。事実を追っていくうちに内容に矛盾が出てくると、そこもチェックが入る。場合によってはおせっかいな印象にもなるけど、ぼくにはたいへんありがたかった。編集さんにそういう感想を告げたら「手前みそだけど、うちの校閲はたいへん優秀です。編集はともかく……」という返事が返ってきた。自他共に認める優秀な校閲さん。ぼくの人生にも校閲さんがほしいところだけど。
そんで、校閲さんのおかげで、ぼくの原稿の不正確さはだいぶ是正されたと思うんだけど、一方、Tさん言うところの本当の話というのは、校閲さんなんかいっさいいない酒の席にあるらしい。本当の話は実は不正確なことばかりで、正確性を求めていくと、だんだん本当ではなくなっていく……のだろうか。
酒の席にて。それはマイクでなくて焼き鳥だ、なんて突っ込みは無用だし、個人の特定も無用
できるだけ真実を伝えていきたいと思うけれど、もしかするとそれは無理なのかもしれない。真実を伝える、ような顔をした各種マスコミが、いかに上っ面の、ときに大嘘としか思えない報道を流し続けるかを思うと、うそをつかないという人たちはうそつきで、正直者はでたらめばかり話している、という、なんだか禅問答みたいな結論になってきた。
ほんとは、朝日ジャーナルに原稿書いたので、それに合わせて、もう少し本音の部分を書いてみようと思ったのだけど、うそつきの話を書いたら、それだけでとりあえず満足してしまったので、本音の部分はまた後日にさせてくださいまし。
震災1年になろうとしているけど、真実は遠し。半減期で減っていく放射性物質が理論上は何兆年たっても消えないように、真実もまた、何兆年追究しても得られないものなのかもしれない。
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2012年03月08日
トテチータ・チキチータ
映画見てきました。「トテチータ・チキチータ」ってやつ。福島県をロケ地として撮影された映画で、ファンタジータッチです。オフィシャルサイトはこちら<http://www.totecheeta-movie.jp/>。主演は豊原功補、松原智恵子など。311震災についても声に出さずに語られるという脚本で、福島県の人にとっては見ごたえ深いものですが、誰にとっても不思議な印象を残してくれ来るのではないかと思います。
この映画を知ったのは、つい最近でした。今、お隣のHさんはせっせと井戸を掘っているんだけど、その井戸掘り現場が、ぼくんちの玄関から10mのところにあります。ぼくはHさんの井戸掘りの記録担当を務めています。勝手にやってるんだけどね。
するとある日、やってきたのです。いまどきのこの村には珍しい、若い娘の二人組。道に迷ったのか、はたまた足はついてるかなとか、こっちが心配になっちゃったんだけど、彼女たち、映画のスタッフだというのです。映画のメイキング映像を撮ってるんだけど、話を聞いていいかといわれて、そりゃ減るもんじゃなし、若い女の子だし、お話しました。でも彼女たち、映画のスタッフだというのに、映画のチラシも持ってないから、何者だかわかんなかったんですけどね。
ご存知だと思われますが、川内村には天山文庫という、草野心平ゆかりの庵があります。どうも彼女たち、そこへ向かっていたらしいんだけど、ナビがうそついたのか、ちょっと寄り道していこうと思ったのか、よりによって、うちの近所を通りかかっちゃった。そしたら、野山を駆ける犬に出会って、その犬を追いかけるように進んでいったんだって。犬に案内されたところで出会ったのがHさんの奥さん。Hさんの奥さんにも「映画のスタッフだけどお話聞かせてください」って言ったんでしょうね。Hさんの奥さんは、おしゃべりではないから、そういうのは向いていない。でもそこで矛先がぼくに向いたらしい。あっちに手ごろなのがいるから、あいつに聞いたらいいよと。まぁ、おっつけられたわけですね。都会からめんどくさいのがやってきたら、ニシマキんところを教えとけばいい、なんてね。
こういう、交通事故みたいな出会いって、ぼくはけっこう好きなんで(若い娘が好きなのかもしれないけれど)しばしお話したのでした。彼女らは、井戸を掘っているHさんにも興味を示して、この井戸が出るまで追い続けるなんて言っちゃって、そりゃ、おまえ、何年もかかっちゃうかもしれないんだぞ、なんて言われてましたけどね。なんせHさんの井戸掘りはこれが一作目。まともに水が出る補償なんてひとつもないわけです。
なぜか井戸掘りを取材するふたりの映画スタッフ
というか、なんで映画のメイキングをつくるのに、井戸掘りの顛末を追わなければいけないのかがさっぱりわからない。わからないけど、こいつらはなんだかおもしろいと思うようになっちゃったのでした。
じゃ、縁があったらまた会おうねと別れた直後、この娘と来たらおなかが痛くなっちゃって、村でたった一軒だけ営業している旅館に駆け込んで、いきなり「薬ください」とやったらしい。これまた交通事故以上の出会いですね。たぶん、あの娘たちに、そういうオーラがあるのでしょう。
なにが気に入ったのか、そのあとも細野大臣が村のみんなとお話をするというときにやってきたし、東京から村を気に入っている仲間が来るという時にもやってきた。いまや、彼女たちも川内村応援団の一味になりました。で、2度目に会った時にチラシをもらって、この映画が「トテチータ・チキチータ」というタイトルであることを知ったのでした。
ぜんぜん映画の解説をしてないけど、もしお時間があったら見てみてください。主人公は4人ほどいるんだけど、小学生の役をやった新人女優のお父さん役が大鶴義丹さん。トライアルとは直接関係ないけど、オートバイの世界ではよく知られた俳優さんです。で、大鶴さんの奥さんをやってるのが映画「オートバイ少女」でデビューした石堂真央さんさんだから、オートバイとも少しかすってる映画です。
突然村にやってきた、撮影助手の矢澤さんとメイキング担当の竹浪さん
映画は白河市の隣の西郷村の文化センターという和める講堂で見たのだけど(相模川クリーンアップトライアルをやって、その翌日です)映画に先立った解説映像は、おなかが痛くなった彼女がナレーションを担当していた。不思議なストーリーの映画がくれた、不思議な出会いでした。
映画の感想を聞かれたのだけど、福島にあると智恵子が言ったほんとうの空は、映画の中でもちゃんと描かれているなぁと思ったのでした。そういえば、松原智恵子と智恵子抄の智恵子さんは、同じ名前だった。
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2012年03月07日
さよなら! 澤口正人さん
珍しいネクタイ姿さんの澤口さん
ダートトラックの競技長さん執務中
2月7日のお昼ごろ、ぼくたちの大切な友人である澤口正人さんか亡くなられました。
大きな手術をして「おれはもうすぐ死ぬんだ」と笑いながら病状を説明してくれていたけど、ほんとに死んじゃった。
この10年、澤口さんにはいろいろお世話になりました。追悼と感謝をこめて、故人を思い出してみたい。
澤口さんは、元本田技研の人だった。鈴鹿から栃木の研究所に転勤になって、栃木県もてぎのあたりに引っ越してきた。そしてやりたいことをやりたいと会社を辞めて澤口屋という商売を始めたのが、ツインリンクもてぎが創業した頃だったという。
できたばかりのツインリンクから仕事をもらって、澤口屋さんはわりと忙しそうだった。ツインリンクの乗り物の整備とかが、澤口さんのお仕事になった。
もてぎで初めてトライアル日本グランプリが開催されたのは2000年のことだった。澤口さんは第1回龍泉洞トライアルに参加したことのあるトライアル愛好者だったから(ひどい目にあったらしいけど)地元での世界選手権開催にはうんと張り切った。
トライアルはショップからインポーターまで、小さな企業ががんばっていることが多い。一方ツインリンクは大きな企業だから、そのまんまだと、なかなか話が通じない。澤口さんはその両方のことばがわかる。会場設営やセクション作りなど、澤口さんが大企業たるツインリンクとトライアル専門職との間の通訳をした現場はたくさんあった。
2000年のときには、古いトライアルマシンを並べて臨時博物館を作った。日本全国のオーナーの方からマシンをお借りしてくるのに、自然山通信も一枚かませていただいたが、そんな現場にも、澤口さんはいてくれた。澤口さんがひとりいるだけで、作業はうんとスムーズになった。突貫工事中は、トンカチがない、釘がないだけでも大きな支障になるし、あんなものがないかなぁ、こんなものがないかなぁというヒラメキにも、いつも「あるよ」と返事が返ってきて、希望通りのものをどこからともなく持ってくるのが、澤口さんのパワーだった。
その頃、世界選手権だけじゃなくて、ふつうの人のトライアルももてぎでやりたいと考えた人がいた。ど・ビギナートライアルの萩原さんだ。一方自然山通信も、世界選手権だけじゃ片手落ちだから、ぜひ素人の部もやりましょうよとツインリンクにご提案申し上げてきた。そして、ツインリンクで調整に立ち待ったのが、澤口さんだ。
最初にもてぎでど・ビギナートライアルをやったとき。
はじめてツインリンクでど・ビギナートライアルを開催したとき、澤口さんは萩原さんの軽トラックの荷台でなにやら語っている。おそらくツインリンクで遊ぶ上でのご注意を語っているんだと思う。ツインリンクもてぎでやってるど・ビギナートライアルは、萩原さんの熱意によって実現したものだが、萩原さんは自然山通信なしでは実現はなかったと言ってくれている。でも澤口さんの影の力がなかったら、開催できたどうかだろうかあやしいと思う。澤口さん、ありがとう。
澤口さんの協力で実現したトライアル体験試乗会
他に、2回か3回、一般のライダーを相手に、トライアル体験会もやった。セクションを作るといっても、本当の素人を走らせるのだから、危ないものは作れない。澤口さんが見つけてきたのは、廃材となって放置されていた部材だった。それはなにかというと、世界選手権の最終セクションの一部だった。「こんなのがここに捨ててあるのは、たぶん、おれしか知らないよ」とニコニコしていた澤口さんを思い出す。
マシンはXR100改(写真)やAPE100だった。大排気量ツーリングバイクを走らせるライダーが、小さなマシンのコントロールに苦労しているのが楽しかった。
世界選手権のセクションの廃材を使って体験コースを作る澤口さん(真ん中)。右は杉谷だ
これが最初のトライアル体験で、トライアルを始めたという人がいる。萩原さんの跡を継いで、今、ど・ビギナートライアルのまとめ役をやっている山内克敏くんだ。山内くんもホンダにお勤めだけど、萩原さんとの接点はなくて、本当にたまたまの一般客として、ぼくらのイベントでトライアルごっこを体験したのだという。
澤口さんがいたからおもしろかった。お疲れさまでした。ありがとう。
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2012年01月17日
メガネ
この前まで、かけるメガネがなくなって、なんとも似合わない(と、ぼくは思っている)青いフレームのをかけていたんだけど、いろいろ策を講じたら、今度は一気にこんなにたくさんのメガネ持ちになってしまった。バランスよく生きていくというのは、むずかしいものです。
似合わない(と、ぼくは思っている)のは左から二番目のやつ。これは下北沢あたりで発祥したTシャツみたいに安いメガネをかけかえてファッションしよう、というノリのメガネ屋さんで作ったもので、5,000円くらい。安い。
申し遅れましたが、ぼくはもういいおっさんなので、老眼である。もともと高校生の時から近視なんだど、それに老眼が入った。近視の方は、一時写真のピントが合わなくなったときに検査を繰り返したんだけど、何度検査しても変わっていなかった。なのでレンズの度そのものは、高校生の時から同じものを使っている。でもそれだと、近くが見えないんですね。
仕事をするときには、パソコンのディスプレーが見えればいいので、その距離専用のレンズを作ろうと思った。これだと、ふつうの近視用ですむ。このメガネを作った頃は、遠近両用のレンズって、ふつうの近視用だけとかいうより、ずいぶん高かったんです。なので近視専用のを5,000円で作って、仕事してたわけです。どうせ仕事用だし、世の中に出ることはないから、思いきり自分らしくないのを作ってみようと思って、いまどきの若者みたいな青いフレームにしてみました。安いフレームだから、塗装が剥げてきちゃって、ぜんぜんファッションぽくないけど。
そう、捨てられないの。レンズが割れたとか、傷だらけで前が見えないとなったら考えるけど、まだまだ見えるんだもの。けちなんですね、基本的に。もったいない精神ともいう。
そんなことをしているうち、持ってるレンズがそれぞれ、痛み始めた。たいてい、メガネのツル(セルっていうらしい)がダメになる。しばらくはダメになったのをがまんしてかけてるんだけど、やっぱり具合悪いので、かけなくなる。そのうち、いつでも青いのをかけて出歩くようになって、去年の全日本の後半戦では、みんなに「らしくない」なんて言われたりしたもんでした。
こいつの問題はらしくないだけじゃなくて、ディスプレーを見る専用だから、遠くがイマイチ見えにくい(かけないより断然いい)。それで仕事するときには遠く専用の、やっぱり5,000円くらいで作ったやつをかけてました。速報で文字を入力するときには、メガネ外さなきゃいけないんだけど、まぁこれはいつものことだ。オートバイ乗るときにも近くは見えなくていいし、転んだりしてぶっ壊すこともあるんで、そういうときにもこれをかけます。でもこれも、ぜんぜんお気に入りじゃない。それが、左の一番下のやつ。
5,000円のメガネをふたつ持ってるだけ、しかもどっちも特にお気に入りじゃなく、ほしくて買ったもんじゃないというのが悲しくて、新しいメガネも作りました。左の一番上のやつ。これ、ツルが折り畳まれない。形状記憶のb-チタニウムとかで、とにかく軽い。メガネ市場で18,500円。5,000円よりずいぶん高いけど、これで遠近両用だから、安くなったもんです。軽さもダントツ。ただ、レンズが小さいんで、いまひとつ、遠近両用としては見えは良くない。最近のメガネはどれもおしゃれになってちいさくなってるけど、遠近両用としてみたら、なるべく縦にでっかいほうがいい。遠近両用は、視線を上下に動かすことでピントを変えますから。
で、右に並んでいるのがフレームにトラブルをかかえた3本。このうち真ん中のは5,000円のやつで、Zoffってところのやつ。上のはニコンのフレームなんだけど、どこで作ったか忘れてしまいました。ツルの根本の部分が折れかけていてぶらぶら。踏んづけたのを修正しようとして曲げたりしているうちに、限界になっちゃったって感じ。
一番下のやつは、これが一番お気に入り。なんといっても、レンズがでかい。これは和真メガネというところで、子供用として並んでたやつなんだけど、お子様ランチじゃないから、大人が買ってったっていいよね、と作ってもらったものだ。フレームは、マルマン製だった。
ニコンのとマルマンのは、どちらも遠近両用で、どちらも合わせて6万円くらいしたんじゃなかったかと思う。6万円のも5,000円のも、フレームが壊れたらおしまいです。新しいの作ろうと思っても、なかなか気に入ったのがない。形状記憶のチタンフレームは軽くていいけど、見え具合はやっぱり前にかけてたのがいいなぁというわけで、フレーム修理の道を探り始めました。
メガネを作った和真メガネは町田店だったけど、郡山にも和真メガネがあった。それで、あるのでなおせるんだったらなおしてちょうだいとお願いした。最初は部品交換ができそうだというんで待ってたら、届いたパーツは部品番号こそ同じだったけど、ぜんぜんちがうカタチのだったそうだ。それで、修理をするということになった。できあがってきたメガネは、もともとのカタチとは少しちがっていたけど、使用上は問題なし。修理費は4,000円ほどだった。
残ったのは、やっぱりツルが折れてしまった5,000円のと6万円のやつ。あちこちさがして、結局お願いしたのはメガネ修理のタムラさん。多少溶接跡が目立ったりしてもまぁいいやと思って、修理をお願いしました。5,000円のメガネにお金をかけて修理するというのもバカだなぁと思いつつ、新しい別なのは変えるけど、同じもので新しいのは変えないから、これがいいと思ったら、修理するしかないと思ってしまいました。お金ないのに、我ながら、お金の使い方がヘタだなぁと思ってしまいました。
でも届いてびっくり。修理の跡がさっぱりわからない。これは素晴らしい。この修理屋さんは福井県の鯖江なんだけど、鯖江というところはメガネが地場産業で、日本中のメガネはほとんどここで作られているんだという話だけど、メガネのことなら鯖江に持ち込め、という感じです。修理代はざっと5,000円ずつ。5,000円のメガネを5,000円かけて修理したわけですか、修理されたものをみたら、お金の使い方がヘタだとは思えませんでした。
過去に、フレームがぽっきり折れてしまって捨ててしまったやつもあるんたけど、金属疲労というのは、折れたところにはきているけど、そのまわりは意外に大丈夫みたいだから、ぽっきり折れたやつでも、なおしてもらったら元気に活躍できたかもしれないなぁと、いまさら惜しくなって次第でした。
サイトを見ると、タムラさんには跡継ぎ(どうも、まだ小学生のようだ)がいらっしゃるようなので、メガネは末長くタムラさんにお世話になることにしたい。今まで40年近くメガネをかけてきたわけだけど、もっと早く知っていればよかった。
タムラさんにお願いするとすると、ぼくの場合、もうメガネのフレームは死ぬまで買わなくていいかもしれない。
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