2010年01月28日
トライアル伝道策
2010年になって、というか正しくは2009年からだけど、ちょっとした変化あり。
ニシマキが、MFJの会議室にお呼ばれしているのでした。トライアルの未来について考えるというお題目。ずいぶん広範囲なテーマなので、なかなかまとめるのはむずかしいと思われるも(おまえがいるからだという声もある?)、これがなにかの打開策につながれば幸いなり。
会議の内容を発表していいものか、どう公開していけばいいのかわかんないので、今回はぼくの考えていることを並べてみることにする。
とんでも意見もあるんだけど、まぁ聞いてください。
この会議は、新しいMFJ会長の高野明さんの肝いりで始まった。高野さんは四輪畑を歩んでこられた方なので、二輪は専門外。高野さんの着任に、ここだけの話(といいつつ、たぶん高野さんにも読まれてしまうのだけど)今度の会長は期待できないぞという声があって、ぼくのところにも聞こえてきていた。でも大局のかじ取りをするのは専門知識があるとかないとかの問題ではないようだ。
同時に、現在のMFJトライアル委員長である西秀樹さんが、かなりオープンに改革を進めていく方針を示していることも、今回の会合の後押しになっている。ここになんでニシマキが呼ばれたかについては首をかしげる人も多いだろうけど(出席してみてまわりを見渡せば、トライアルのどへたくそはぼくだけではないか)日ごろからあーしよー、こーしよーと無責任に語っているから、少しまともなところでしゃべってみろということになったのだと思う。
西さんによると、巷ではMFJに対する批判的な意見が多いが、MFJ、MFJといっても、日本のトライアルのなんたるかを決めるのはトライアル委員会であって、MFJではないから、そこんところをまちがえないで、意見があったらとにかくトライアル委員会に届くようにしてほしいということだ。
こういう会合は、これが初めてではなくて、これまでもよりよきトライアルの未来のために、いろんな形でおこなわれている。「毎回呼ばれて意見を言っているけど、ほんとに意見を吸ってくれるのか」という声もあった。意見を言う、その意見に根拠があるかどうかを検証する、対策を立てる、その対策は実現可能かどうか、可能なら実行に向けて整備する、そして実行する。意見が現実に反映するには、時間も労力もかかるもんだ。
おっと、今回は、こういう中身には触れずに、ぼくの思いだけを書いておくんだった。
トライアルの普及については、簡単ではないが、ぼくには少し楽観視しているところがある。というのは、世界選手権を見て「つまらない」という人は皆無だし、全日本選手権も、たいていの人が大喜びする。
同様に、トライアルをやらせてみると、ほとんどの人がおもしろくてはまってしまう。中には性格的に向いてなくて、ゆっくり走るのができない人もいる。若い人なんか、ときどきそういう人がいる。でも彼らも、20年後にはきっとトライアルをやりたくなるはずなのだ。
ではなぜトライアル人口が少ないし、増えないのか。それは入り口を開けていないことと、呼び込みを指定ないことだと思っている。世界選手権はずいぶんよくできているけど、全日本選手権の場合は、見にきたはいいが、トイレがないとか飯を食うところがないとか、会場についてが不案内だとか、改善策はいろいろあると思われるも、これはトライアルの本質的な問題ではない。
MFJは、トライアル人口の減少を警戒している(現在はトライアルだけが横ばいを保っている)。この場合の人口とはライセンス人口のことだ。トライアル人口を増やすには、今ライセンスを持たずに楽しんでいる人にも、ライセンスを持ってもらえば、ライセンス人口はすぐ2倍くらいになるのではないかと思っている。
しかし同時に、意味のないライセンスは誰も取得しない。かくいうぼくも、トライアルのNBライセンスはお返しした。NBの選手権に出て楽しいと思うまでには、トライアルを始めてから3年から5年が必要だという。かなりじれったい。その実、始めたばかりの頃というのは、どんどんうまくなっている実感がある(実は誤解だという話はいずれ)。この、一番向上心旺盛な自分のライダーを、MFJのライセンス制度はスルーしてしまっている。
ぼくの提案(もちろん極論)。ライセンス・カテゴリーをもっと増やして、たとえば国内Z級からはじめる。そしたら、トライアルマシンにまたがってスタートができるだけで国内Y級にすぐ昇格できるかもしれない。いくつか昇格したら、自分のライセンスが大事になる。今の国内B級ライセンスというのは、なくなったってなんにも惜しくない場合が多いからね。
こういうことを書くと、今のままで楽しくやってるんだから、なんでMFJのライセンスなんか取らなきゃいけないんだ、という声が上がってくると思う。それはよくわかります。九州ブロックの一部にはいった沖縄でも、きっといろんな意見があると思う。ぼくも、ずっとそう思っていた。
SSDTでオブザーバーやったとき、同僚のイギリスのおっさんと話して「へー」と思ったのは、おっさんに日本のトライアルを説明したときのこと。ライセンス人口とトライアル人口がちがうということが、おっさんには理解できなかった。トライアル(競技)をやる人は、すべからくライセンスを持っているのが、イギリスの常識だそうだ。ワンデーライセンスという素晴らしい制度があるという背景もあるけど、スポーツというのはそういうものだと、おっさんはおっしゃる。なるほど。
これはまるで説得力がないけど(日本ではそうじゃないと言われればそれまで)、一方、MFJの会員(現状の制度では、エンジョイ会員でも可)は、MFJ共済の障害基金お見舞い制度が利用できる。昔はどんな保険屋さんもモータースポーツの保険を請け負ってくれたけど、いろいろあって(もともといんちきだった?)今は請け負ってくれる保険屋さんはほぼ皆無。MFJは、保険屋さんとして貴重な存在なのだ。
保険なんかなくてもいいじゃん、という声も多いかもしれない。事実、けがゼロで一日が終わることも多いだろう。すりむいたとか、ねんざしたとか(痛いけど)、骨折ったとか(い、痛い)そういうのは、これも極端な話、無保険でもかまわないかもしれない。でも万が一にも、それ以上の重大事故が発生したとき、主催者は責任を負いきれない。さっき書いた保険屋さんの問題も、モータースポーツだってことを黙って申告すればOKだったという事情もある。しかしそれも、警察に現場検証してもらわないといけないような事故になったら、どうしようもない。そんなとき、保険もかけていませんでした、無責任でした、となっては、主催者としては破滅だ。金額の問題ではなくて、最低限の保障はしておかないと、おっかなくて大会の主催なんかできない。身内大会だから、保険なしで大会をやっているみなさんもまだまだ多いと思うけど、百歩譲って、身内ならいいとしても、その身内が友だち連れてきたりして、だんだん世界が広がってきたら、おっかないですよ、ほんとに。トライアルライダー本人は理解のある人が多いけど、重大事故が発生したら、うんと極端な話、相手をしなきゃいけないのは警察だったり裁判官だったり遺族!だったりするわけです。おおげさな、という人には、この20年ほどで、トライアルの大事故を思い出してください。トライアルは(トライアルも)、けっして安全なスポーツではないのですから。
失礼。つい熱くなりました。で、現状、草トライアル大会が保険なしでやっていることがままある状況を、これはMFJの承認大会でないからと放置するのは、モータースポーツの管轄団体としていかがなものかと、ぼくは考えます。MFJあるいはトライアル委員は、保険の外交員、営業マンとなって、全国の草大会をMFJ承認大会になってもらうよう、動いてもらえないだろうか。現状、エンジョイ会員になるには年間(12ヶ月)3000円必要だけど、これで10大会に参加したら1戦あたり300円ですから、参加する側としたら安いもんです。
現実にはいろいろあって、承認大会になるにはどうしたらいいかがよくわかんないとか、手続きが必ずしも簡単ではないとか(慣れちゃうと簡単なんだけど)あるんだけど、しかしそういうのは、解決策は模索できるはずなんだよね。
こうやって、トライアル人口を増やしていけば、すそ野が広がる。分母が広がる。今、トライアル選手として走っている人は、当面の自分の待遇改善が大きなテーマとなるんだろうけど、トップライダーの食いぶちをまわり回って稼いでいるのは、多くの一般ライダーだ。なので一般ライダーがゼロなら、トップライダーの報酬もゼロになっちゃうのは、しかたがないことだと思う。
鶏と卵の問題じゃないけど、人口を増やせば待遇が改善されるのか、トップライダーがいい稼ぎをして憧れの存在となると人口が増えるのか、これはどっちにも一理があると思う。されどもぼくは(取材先でお会いするトップライダーの皆さんにも申し訳ないけど)人口を増やすところから手を付けるべきだと思う。まぁ、両方いっぺんにできればいいんだけど、どっちも効果が見えるまでに時間がかかりそうだというのも、困ったところなんですね。
細かいところをいくつか。
全日本選手権を見ていて思うこと。クラス分けのゲートマーカーが見にくい。特にセクションのアウト側からライダーを正面に見ているときには、マーカーの字が見えないから、IASとIAのマーカーは区別がつかない(それ以前に、岩の影で見えないことの方が多いんだけど)。せめて裏側にIASは黄色い○を書いておくとかできないだろうか。
国際B級チャンピオン、国際A級チャンピオンがゼッケン1番をつけてチャンピオンをアピールできる場がない。そこでチャンピオン翌年は、たとえば藤巻耕太は今年ゼッケン13だけど、数字を金文字にして、前年のA級チャンピオンであることをアピールさせてはどうだろう。
中部大会、中国大会では全日本に対して新しい試みをやっている。でも現状では、これを検証する術もないし、何年経ってもこのまんまな気がする。この2年くらいを徹底的に実験期間として各大会でいろんなことをして、3年後には全日本全戦で新システム(もちろん、検討の結果、今のままとなってもいい)を採用するという策はとれないか(これは細かい提案ではなかった)。
それと、ここ数年の懸案はトライアル・デ・ナシオン。自然山通信には、2009年の日本チームのエントリーが中止になっても、ぽつぽつと募金が届けられている。300万円くらいどーんと届けてくれる人がいたら、いきなり日本チームの参加が問答無用で復活すると思うけど、でも200円、1000円と募金してくれる人のお気持ちはうれしいです。いつもありがとうございます。
で、しかし実際どうするか。ぼくは次世代に向けて、若手チームを結成するべきだという意見。世界選手権(ヨーロッパの)に参戦した経験のないライダーばかりでBクラスを走るのがいいと思っている。トップライダーが、大喜びで毎年(ここが大事。1回2回なら、喜んで参戦してもらえると思う)参戦してくれる経済的バックボーンがあるならともかく、日本チームのためにトップライダーの貯金をくいつぶしてはいけないですから。
と、こういう話を藤波貴久選手とする機会があった。藤波選手個人としては、Bクラスで若手が走るのは賛成だとのこと。その場合、ぼくは藤波選手がプレイグマネージャーとして若手を引っ張ってくれるといいと思うのだけど「それ、ぼくはいいけど、ぼくがBクラスを走るのって、ヨーロッパの連中は許してくれないでしょうね」とのこと。そうか。なら、IASの若手で、なんとかAクラスを走ってもらおうかな、といきなり自説を変更するニシマキ。今の日本は悪くても3位が指定席になっているけど、そうなると3位はむずかしいかもしれない。しかし2位も可能かもしれない。こういう未知数のチームを、おもいきり応援してみたいというのが、ぼくの今の気持ちです。
そんなこんなで、まだまだあったのだけど、とりあえずこんなところで。ニシマキ的初夢ってことで読み流してください。
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2010年01月22日
相模川のお掃除
毎年この時期、恒例となった相模川の河川敷の一斉清掃がありました。河川敷をきれいにして、気持ちよく利用しようという活動ですが、ぼくたちオートバイで遊びたい者にとっては、この活動は単なるボランティア以上のものがある。もう5年にもなる活動だから、話せば長くなるけど、時々話さないとこちらも忘れてしまうので、ちょっと解説しておきます。
とりあえず結論だけ先に言うと、今回はトライアルライダーらしい活動もできたように思うし、この周辺のゴミも劇的に減っているのが確認できた。なかなかよい週末になった。お巡りさんに事情聴取もされてみたしね。
このあたり、相模川の、通称猿が島一帯というんだが、この一斉清掃の活動をしているのは猿が島利用者連絡会という。入会資格とかそんなのはないが、ここで遊んでいる人、つまり河川敷を利用している人は自動的にみんな仲間になる。ぶらりと犬の散歩をする人もいるだろうし、モトクロスを楽しむ人、四駆遊びをする人、バーベキューをする人、ラジコン飛行機を飛ばす人、釣りをする人、バードウォッチングをする人、それから、ぼくたちみたいにトライアル遊びをする人。いろんな人たちが、河川敷を利用して遊んでいる。
昨今、河川敷の利用はだんだんむずかしくなっている。お国の方針としては、河川敷は国民の健康のための有効利用をすべし、なんて指針が出ているのだが、現実問題としてそんなに簡単に開放はしてもらえないのだった。ここの場合、河川敷を所有しているのがお国や県以外に、個人の地主さんがいて意見統一もむずかしいというのが、ぼくたちが自由に利用できている理由のひとつでもあった。
では、野放図に遊んでいればいいかというと、たとえば河川事務所がつくった水門の周辺の土手の法面を走り回って、すっかり地形を変化させてしまったについては、行政はいたく怒っていらっしゃる。お金をかけて作ったものを壊されたのだから、犯人を特定するのはむずかしいにしても、立派な器物破損だ。どんぶりで犯人を示すなら、オフロード遊びをする人たち、みんなということになる。当然、トライアルライダーも、共犯だ(トライアルタイヤハローインパクトだから、とかいって責任逃れをしてはいけないと思う)。もちろん、ゴミを捨てていったりするのもよろしくない。ごくまれに、トライアル部品やタイヤが捨ててあったりすることもないではないから、トライアルライダーがものを捨てていっている可能性はゼロではない。お昼を入れてきたレジ袋が風で飛んでいってゴミになるという、不可抗力的不法投棄だってあるだろう。ここを使うなら、そういうことはやめてちょうだいと行政の方はおっしゃる。当然のお望みだと思う。
一方、相模川の美化運動をしている方たちがいた。彼らはサーフィン趣味が発端となって、海岸美化運動をしていた。ところがいくらゴミを拾っても上流からどんどんゴミが流れてくるのを知る。それでゴミの上流をつきとめたら、それが猿が島だったということだ。
5年ほど前の猿が島は、それはそれはゴミだらけだった。昼も夜もゲートは開いているから、不法投棄の人も入ってこれてしまう。捨てられたゴミは、誰が処分するわけではないから、どんどんたまっていく。そこを利用する人たち、ぼくたちだけど、ゴミを捨てにきたわけではない健全な利用者も、積もりに積もったゴミをなんとかすることもなく「不法投棄するやつがいるからいかんよなぁ」と他人事に言うだけだった。
それが一体になったのが、美化運動を展開する環境応援団IPPOとの出会いだった。彼らの呼びかけによって、いろんな遊びをしている仲間が、いっしょに活動する基盤ができた。それまでは、釣りをしている人たちはオートバイはうるさくてホコリをたてる悪者扱いだったし、トライアルをする人はスピードを出して走るエンデューロマシンのライダーにあんまりいい印象を持ってなかったし、しょせん人の土地で遊んでいるくせに、みんな心が狭かった。それが河川敷のゴミ掃除をするようになって、少しずつ関係が変わってきた。みんなが、少しずつだけどいっしょになりつつある。それが今の段階だ。
一方行政としては、ゴミを拾う人はいい人とばかり言っていられない。ゴミを持って帰ってくれるなら歓迎だけど、ただ集めて積んでおくだけでは、新たな不法投棄の助長にもつながる。それに、行政というところは法律に沿ったことしかできない組織だから、ボランティアでゴミ拾いをお願いするというシステムを認めるわけにもいかないのだ。
ぼくらのゴミ拾いが、行政に認めてもらったのは、この3年くらいのことだ。集めたゴミは行政が処分してくれる。ゴミ拾いのボランティアを“してやっている”市民からすると、そんなの当然だろうと思うけど、IPPOの活動としても、これは大きな前進だった。
仲間同士の交流も少しずつだけど進んでいる。その一方で、行政との交流も、ほんの少しずつだけど、進んでいる。ゴミが少なくなっていくのもうれしいが、そういう関係が進んでいるのも、なによりうれしい。
今回の一斉清掃にあたって、トライアル仲間として、ぜひやりたいことがあった。利用者の中で、トライアルをやる者は行動範囲が広い。しかもかなりの奥地まで入っていく。ゴミを発見するチャンスも多い。ところがトライアルライダーは、輸送能力が極端に低い。自分たちのゴミを自分たちで処理していくには限界がある。一斉清掃の時に手伝いにきてくれたみんなに、うまいこと収集をお願いできたらいいのだけど、この2年間(2回)の経験からすると、一斉清掃が終わっても、ぼくたちの遊び場所のゴミは意外に減っていなかった。だから今回は、一斉清掃の前日に、奥地のゴミを運び出しておこう思ったのだった。
土曜日に集まってくれたのは10人ほど。軽トラックを2台借りてきて、明らかに業者が捨てていったと思われるタイヤなどを大量に運び出した。実はこのタイヤは、クリーンアップトライアルの集合場所に使っていたところに捨てられたもので、直接ぼくたちの犯行ではないけれど、なんとなく後ろめたい思いもあったものだった。
ところがこの作業中、どなたか正義感あふれる人がいて「不法投棄をしているみたいな連中がいる」と通報してくれたみたいだった。作業中に、河川敷に入ってきたパトカーとすれちがった。こんちわー、なんてあいさつしてすれちがったものだったけど、30分後くらいにお巡りさんは、ようやくぼくらが通報の主人公だというのに気がついて、事情を聴かれた。
「不法投棄だってことだけど、それにしちゃパトカーと出会っても堂々としてるしねー」
とお巡りさんは不思議そうだった。お巡りさんと出会う前、土曜日に作業したみんなで記念写真を撮ったのだけど、お巡りさんもいっしょに記念写真におさまってもらえばよかった。この写真は表紙にしようなんて話していたけど、どうもインパクトに欠けるので、表紙にはしなかった。みんな、ごめんなさい。
とまぁ、やたらに長い前置きになったけど、そういうわけで、1月18日に一斉清掃が行われた。当日は、成田匠さんもやってきてくれた。ゲストじゃなくて、ほんとにゴミを拾いにきてくれたのだ。うれしい。まだまだ利用者の中にも(そしてトライアル仲間の中にも!)みんながゴミを拾っているのに、黙々と自分の遊びをやめない人も多い。それぞれ事情があるから(去年はちょうど一斉清掃とイベントが重なってしまった。とても具合が悪かった)、無理やりゴミ拾いをさせるわけにもいかないけど、なんとも残念。ゴミを拾ったからといって、ここを走っている免罪符になるわけではないけど、ゴミを拾うくらいの気持ちがなくて走りっぱなしというのは、後片づけをしていないのと、まぁ変わらないんじゃないかと思うわけだ。次は、ぜひいっしょにゴミを拾いましょう。
そうそう。ゴミを拾うのは、思ったよりもずっと楽しいと思う。なんでこんなものが捨ててあるのかね、というようなものも出てくるけど、そういうゴミがどういう経緯でここに置かれることになったのかなどと考察しながら拾っていけば、なかなか社会勉強にもなるのであった。
今回集まったゴミは、タイヤ(ちゃんと外すのがめんどくさいのか、すべてサイドの部分で切られている。まるで業者のしわざ)だの古着だの、風呂桶だのクルマだのなんだのかんだの。大きなものは、とりあえずあらかた片づけたから、これからはより細かいゴミを拾い集めていきたい。
ゴミってのは、ゴミのあるところに捨てられていくものだから、きれいにしているとゴミ捨て場にはならないのだね。
と、ゴミ捨て場のような仕事場で、これを書いてます。みなさん、ご協力、ありがとうございました。なおレンタカーの軽トラックを借りてきたお代などは、クリーンアップトライアルのエントリーフィーの貯金から捻出させていただきました。重ね重ね、ありがとうございます。
●IPPOさんの一斉清掃についての記事http://ippo2010.exblog.jp/13513868/#13513868_1
追記:ところでね、翌週、相模川クリーンアップトライアルのとき、集合場所にトライアルタイヤが投棄されているのを発見しました。清掃活動をしているとき「こんなに不法投棄して、とんでもないやつがいるんだよなー」という声をよく聞きます。しかし河川敷にはトレールモデルの部品が散乱していたり、四輪のショックアブソーバーが捨ててあったり、利用者が投棄していったと思われるものも少なくない。そしてとうとう、トライアル仲間にも、同族がいることがわかった。悪いけど、これからトライアルのみなさんはボランティアで清掃活動するのではなく、自ら(の仲間)が犯した罪を償うために清掃活動に従事してください。捨てたのはおれじゃない、と言い張る人は、ここで遊ぶ権利はないのではないかと、ぼくは考えます。残念ですけれど、そういうことです。
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2010年01月19日
初詣で
2010年が明けた。今年は、表の参道ではなくて裏側に自動車で上れる道ができたので、初参りに来る人が増えるのではないかということになった。
毎年ちゃんと初参りしている人はきちんといらっしゃる。でもなんせ、低いけど山の上の神社だし、寒いし、ころんころんと鐘を鳴らしてお金をほうりこんでそそくさと帰るというのが毎年のことで、神様を前にお神酒を酌み交わして和むなんてことはほとんどなかったのだった。
12月31日、神社のお掃除をして、ストーブを運び込み甘酒をつくる。表の参道は、急な階段。昔の人の手作りらしくて、いろんな角度に石が積まれている。下に向かって傾いている階段は、特に下りるときにはたいへんこわい。今回は裏に道があるから、階段を上る人はごく少ないだろうけど、やっぱり表の参道は大事なので、落ち葉などはらってきれいにしてあげる。
境内には、水をためる石の瓶がある。もともとは雨水を溜めていたのだけど、秋に引き水を300mばかり引いてきて、いつでも水が出るようにした。山から出る、とてもおいしい引き水だ。水を通すパイプの敷設は、ぼくもお手伝いしたのだ。あんまり上り下りしないように、目的地に向かってどこを通したら効率がいいか、ない知恵を絞りながらパイプを巡らせていくのは楽しかった。
でもね、この水が凍っちゃった。出るほうはいいのだが、排水のほうがだめだった。排水が凍ってるのに出るだけ出てしまうと洪水になっちゃうから、残念、今回は境内の水はなし。春になったら、排水用のパイプを土中に埋めようということになっている(手抜き工事して、地面に置いてあるだけだった)。
さて、準備を終えておのおのいったん引き上げ、その間にぼくは自然山サイトの改造に取り組み(なぜか、サイトに手を入れるのはお正月と決まっている)、役場の課長さんが持ってきてくれたうちたての蕎麦などをいただき(役場をやめたら蕎麦屋をやるんだといっているから、みんなにも食べてもらえる日は近い)、夜の11時になってあらためて神社に出かけてた。
うっすらと雪化粧した境内から見ると、扉の中に人の気配あり。怪しいバーの扉を開けるような感じで勇気がいりそうだが、こういうところに「おばんです」と入っていけるようになっただけ、住み心地はよくなった気がする。ぼくは小心者だから、知らない人の中にはいっていくのはずいぶん勇気がいる。
とまれ、中にはいってお神酒などいただき、そのうちもはやお神酒ではなく、健全な酒盛りになった。持ってきたストーブは大きなものだったけど、すきま風はいり放題だし、寒いのだ。酒でも飲まなきゃ、凍死してしまう。
そうしているうちにも、初参りのみなさんが次々にやってくる。例年だと、誰もいないところにやってきて、こっそりお参りして帰っていた皆さんは、扉を開けた瞬間にびっくり。まぁちょっと飲めと勧められて、そのまま居座る人もいるし、固い意思でお帰りになる方もいる。Kちゃんはいっぱいだけやったあと「姫始めがあるから帰ります」と帰っていった。もうすぐおじいちゃんの年になると、こういう言い訳もちゃんと通用する。がんばってください。
牛を飼っているHさん親子は、はだしでやってきた。おりしもストーブの横では花札が始まっていて、お父さんはすぐにそれに混ざってしまった。はだしで寒くないのかなぁと心配になるも、これはなにかの修業なのだろうかと聞いてみた。宗教上の理由などはなにもない、そうだ。安心した。
花札は、しばらく観察していたけど、さっぱりわからなかった。なんでも高田島には高田島独特の花札があるんだそうで、猪鹿蝶が役にならないルールらしい。といっても、みんな花札をやるのが中学の時以来だとか言っているから、記憶をたどりながらおたおたやっている。
こういうのも文化だから、やってないと消えうせちゃう。だから正月くらいは花札をやろう、と初参り花札の発案者のTさん。伝統を残すのは、たいへんなのである。
誰が数えしていたのかはわかんないけど、70人くらいお参りにきた人がいたということだけど、夜中の1時をすぎたあたりでお開きになった。近所のMくんがよいよいの酔っ払いだったので、HくんとEちゃんとで送っていって、ついでにMくんのこたつの上に残っていた鍋を勝手に暖め、冷蔵庫のチューハイなどを勝手に開けて、お正月の未明の時間が過ぎていった。Mくんはとうにダウンして初夢を見ている。どんな夢を見ているやら。
今年もよろしくのお正月物語でした。
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2009年12月18日
銀ブラ
銀座をぶらぶらしています。なんていうと優雅ですね。放浪しているといったほうがお似合いかもしれない。漂流しているのかもしれない。おりしも、片山右京さんが遭難というニュース。右京さんには、南フランスの田舎町でご馳走になったことがある。ファラオラリーに参戦するんででかけたマルセイユの近くで、右京さんのF3レースがあったんで、応援に行ったのだった。右京さん、がんばってください(書いてるうちに、無事が確認されたというニュース。よかったけど、お仲間亡くなっているだけに手放しでは喜べないか)。
さて本日は、お引っ越ししたMFJさんにおじゃましました。たまたま、トライアル委員長の西さんに連れられてのMFJ詣でです。
会長の高野さんとも、またちょっとだけお話し。ぼくがMFJ会長さんとあったからといってなにがあるわけでもないけど、9月の全日本中国大会、今月初めのど・ビギナーに続いて3回目。いろいろ苦しいご時世だけど、高野さんはトライアルの世界にも理解を示してくれているようです。いえ、高野さん自身はトライアルのことはほとんどご存知ないけど、だからなお、現状を把握しようと熱心なご様子。厳しい世の中だから、どんな采配がふるえるかはむずかしいと思うけど、どうぞよろしくお願いします。がんばってください。いや、こちらは他人事ではありません。
西さんには「今度の事務所は眺めがいいぞ」と言われていたので、どんな景色かと思って出かけたら、こんな景色でした。築地本願寺。このアングルから見たのは初めてだ。ここでは有名な人のお葬式がよくおこなわれるから、そういうときにはここは見物の特等席ですね。けっして、ゴルゴ13には教えてはいけません。
西さんと見下ろしながら、この駐車場を使ってスタジアムトライアルができたらいいなぁ、なんてお話しました。ぼくは駐車場にセクションを組んで、と考えていたのだけど、西さんはもうちょっと大胆に、本願寺の天井や会談をセクションにしたいらしかった。それはいいセクションができそうだけど、罰当たりこの上ない。まぁいずれにしても罰当たりかもしれません。もしかすると、こんな話をしていること自体もだし、そもそも本願寺さまを見下ろしてもいけないのかもしれませぬ。
本願寺の反対側には、小学校。ビルの谷間の、舗装された校庭で運動する子どもたちが見えます。近所のマンションで生まれてこの学校に通う子どもたちは、どの時点で「泥」に接するのだろうかと、オフロード関係者二人は、日本の将来を憂慮するのでした。
そんなこんなしているうち、西さんの飛行機の時間が迫ってきて、あわてて羽田に向かう西さんを見送り、銀ぶら。
とあるちいさな洋食屋さんでランチ。背広姿の男の子が現る。おひとりさまですか?という店員さんの質問にぼそぼそと答えている。あとからもうひとり来るらしい。5分くらいして到着したのはコート姿の女の方。背広の男の子より少し年上っぽい。左手の薬指にはリングがあった。
時間差攻撃でオフィスを出てきたカップルか。男の薬指は確認できない。夫婦だったら時間差で出てくる必要はないよなぁ。と、自分の人生にまったく関係ないことを、ばくばく食べながら、ふたりの関係など、考えてみる。フォークを男の子に手渡す彼女の姿に、微妙な親しさあり。だけど男の子は緊張しているふうで、どうも不倫関係とも思いにくい。男の子はほとんどなにもしゃべらず、会話は傍受できず。
結局、調査は中途半端で終わりました。自分にとって無関係の人がたくさんいる場所は、こういう人間観察がおもしろいのでありました。悪趣味でごめんなさい。
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2009年12月15日
しめ縄
当、川内村高田島地区では、今年二度目の雪が降ったらしい。らしいというのは、ぼくは見てないの。日曜日の夕方、これから寒くなるぞ、水が凍るぞと脅かされたんだけど、締め切りがあったのと横浜から届いたコンピュータを組み立てていたのと、もう2ヶ月ほど行方不明のオーディオのリモコンを探していたのとで(こいつは、すべての操作をリモコンで行うから、今は音も出ません)、きのうの夜から今朝にかけて、お外を見ることもなくコンピュータの画面をにらみ続けていた。
集落の山のてっぺんにお住まいのKさんの日記に雪が降ったとあったのであわてて外を見てみたけど、下界のこっちは降ってないのか、それとももう溶けてしまったのか、雪が降った形跡はもうなかった。
やっぱり朝起きたら、用がなくても外に出て、山に向かって(ちょうど糠馬喰山というてごろなのがある)おはよう!と叫ぶべきなんだな、反省。
と、そんな二度目の雪が降る数日前に、しめ縄教室があった。先生のじっちゃんに教えてもらって、お正月用のお飾りを作ろうという催し。ぼくが参加するのは2度目だけど、初めて参加したのが2年前で、こよりのできそこないみたいなのを何本か作っただけで終わった。こういうのは、もともと苦手なんだ。とほほ。
で、それからまるまる2年経ってしまって、ちっとは覚えたやり方を、まるっきり忘れてしまっていたから、参加2度目のど素人になっていた。今の世の中、しめ縄ができなくて困ることなんかほとんどないのだけれど、そうやって不要なものをどんどん省いていったのが20世紀後半のニッポンの姿だった(大きく出たなぁ)。不要に見えて必要なものも、ほんとにいらないものも、必要だけどめんどくさいものも、全部まとめて省いてしまったんじゃないかって気もしないでもない。
ネット通販を検索してみれば、しめ縄も安いのは1000円くらいから買える。1000円で済むものなら、ネットで注文して寝て待っていたほうがいいってもんだ。
そんな時代だから、めんどくさい思いをして藁と格闘しなくてもいいのだけど、日本人類何百年何千年やってきたことには、なにか意味があるはずだから、いまさらながらこんなことしてみるのも悪くはなかろうというもんだ。
なーんて、かっこいいことを言っていたって、へたくそはどうしようもない。初めて参加したといっても、村の人は自分ちでしめ縄作りをやっていたりするから、てんで素人ではない。町の方からやってきた人が何人かいらして、同じくらい藁と格闘している人がいると、同志がいると思って安心する。いや、ここで安心してはいけないのだ。来年さぼって再来年にしめ縄作りに出かけたりすると、今回素人だった人がみんなプロになっていて、素人はぼく一人という悲しいことになっていたりするにちがいないのだ、きっと。
教えてくださる先生は、先生といっても職人だから、習わせるより慣れさせるほうが得意。
「藁は何本くらいつかめばいいんですか?」「藁のどのへんから始めればいいんでしょう?」
なんて初心者らしい質問には
「そうさなぁ、好きなだけつかんで、好きなところから始めればいいさ」
そんなぁ、先生。それじゃさっぱりわからない。
でもこのあたりでものを教わるというのは、たいていこんな感じだ。農作業ひとつ、間伐もチェーンソーの刃を研ぐのも、全部こんな感じ。こういう教わり方にたじろいでしまう自分を見ると、なんだかんだいっても、自分は現代風の教育を受けたんだなぁと(いい年してるくせに)思い知るのであった。
若い頃は、手取り足取り、安全第一で教えてくれる先生たちの教え方が、じれったくて仕方がなかった。でもそういう教え方に反発していたということは、つまりはそういう教育体制の中にいたってことなんだなぁ。
職人の世界は、むずかしい。
さて、しめ縄をひとしきり作業したあと、お昼をいただいて、民話など聞かせてもらった。森の民話茶屋の代表を務める後藤みづほさんの楽しいお話。この年になって、イタチやネズミのお話を聞くというのも新鮮。しめ縄とはちょっと方向はちがうけど、つまり民話も、今となっては不要とされた、昔から息づいていた大事なもののひとつなんじゃないかと思わされる。
後藤さんによると、今の人たちの今の生き方は、まちがっているわけではもちろんなくて、とても素晴らしい生き方なのだという(記憶に頼って書いてるから、まちがってたらごめんなさい)。テレビやコンピュータやゲームや、やることもたくさんあって忙しい。そんな忙しい中から、ちょっとだけ時間をつくって民話を聞いてみるのも悪くないとおっしゃる。
ネズミが屋根裏から滑り落ちてみんなに脅かされているシーンでは、職人も素人も村人も町の人も、みんなわはははと笑っている。笑いにも、きっといろんな笑いがあるんだと思う。
というわけで、今年はいくつかしめ飾りを作った。なんだかんだいっても2回目だから、2年前にやったときよりは、だいぶ上達したような気がしていました。
で、後日、用があって現れた代理区長さんに「どんなのつくったの?」と言われてえへんと見せたら、笑われちゃいました。いやはや、とても人に見せられるものではなかったということですね。というわけで、一番最後の写真は、職人のじっちゃんが作ったホンモノです。
一番上は、その材料たる藁。これも、お米を採った残りをそのまま持ってくればいいんじゃなくて、きちんと保存して、いい緑色が残るように管理したいいものなんだそうだ。いい藁しかさわったことがないから、なにがいいのか悪いのかも、まだわからない。残りの人生でちがいがわかるように慣れるかどうかはわかんないんで、これをお読みのみなさんは、今からでもぜひ藁と格闘する時間を、ほんの少しでも持ってみたらどうかなぁと、自分のことは棚に上げて思うのでありました。
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2009年11月16日
テレビに出た……
テレビに出た。ほんの数秒出ただけなんだけど、その直後から、何人かの人に「あれはおまえか」とお問い合わせをいただいた。最初は、年に一度しか会わない大先輩からお電話。今日は、3年に一度くらいしかあわない昔の同僚から電話をもらった。読者の方にもお問い合わせをいただいてしまった。
ほんとにしょうもない出演の仕方なんでないしょにしていたんだけど(ないしょにするほどのものでもない)、テレビの影響ってのは大きいんだなぁと痛感した次第です。
テレビといえば、この夏、学生さんたちが村を訪れてやらかしたプロジェクトでは、3日間テレビカメラが張り付いて、あれやこれや取材してってくれた。ぼくもインタビューを受けたんだけど、それはばっさりカットされて、お後ろ姿が映っただけというなさけない出演をしただけだった。でも活動の証としては、これはなかなかよくできた番組だったので、できれば公開してみんなに見てほしいくらいだ(残念ながらそれはできないんで、iPodTouchに入れて持ち歩いている。今度会ったときに見せてあげます)。この件については、ちゃんとこの場でご報告しようと思ってるんだけど、いや、すいません。日記書くのさぼってます。
で、このときの活動をお手伝いしてくれたのが大塚尚幹さん(本名はなおきさん、屋号をショウカンとしている。ぼくらはショウカンと呼んでる)といって、一級建築士の先生だ(お仕事のサイトはこちら。SHOKAN DESIGN・http://www.shokan.jp/)まだ若い。そのショウカンが、秋になって稲刈りに誘ってくれた。
誘ってくれたというと聞こえはいいが、人手を募られたわけだ。春には田植えをやった。田植えも稲刈りも、全部手でやっている。中には農家育ちのベテランもいるのだが、ショウカンの友だちだのぼくだのは(もちろんショウカンも)、農作業は慣れてない。都会人がおっとっとしながら農業をやっている。それはそれで、なかなか楽しい。たいへんだけど。
その稲刈りに誘うのに「当日はテレビの取材が入るから、テレビに映るかもしれないよ」といわれたのだった。なんでかといえば、ショウカンの奥さんは愛ちゃんといって、大塚君と結婚したばかりに大塚愛なんていう有名人みたいな名前になっちゃったんだけど、愛ちゃんは川内村ではちょっとした有名人だ。
話をうんとはしょると、自転車でふらりとやってきて電気も電話もない山奥に住みつき、自分で掘っ立て小屋を建てて暮らし始め、地元の大工さんに弟子入りして修業して大工となった。そしてあるとき、建築関係の会合でショウカンに見初められたのだ。
ショウカンは、横浜の人である。偶然だけど、自然山通信本社である杉谷家のすぐ隣町だ。ぼくが以前住んでいたところにも近い。要するに、都会っ子である。はじめてショウカンが愛ちゃんちを訪れたときには、ひとりでいくのがこわいから長年の友人を誘い、それでも途中の山道があまりにも細くて険しいので、帰ろうか、それとも愛ちゃんに会いたさに突き進もうか、その葛藤が手に取るようにわかっておもしろかったという。もっとも、友人氏もそれはあとから気がついたことで、そのときは、友人に会いに行くからいっしょに行こうと言われただけで、そこにショウカンの未来のお嫁さまがいるなんて思いもよらなかったし、まして都会人の彼がそんなところに住むことになるとは予想だにしなかった。
そんなこんなで、彼らは結婚して、この春には二人目の子どももできた。そしてあいかわらず、電気も電話もないところに住んでいる。水道は、もともとこの村にはない。みんな、おいしい井戸水や沢水を使って暮らしている。牧をたいて五右衛門風呂をわかし、田畑を作って楽しい僻地暮らしを実践している。今回は、自給自足を取材する番組で、愛ちゃんがとりあげられることになったのだ。
稲刈りとか田植えは、今や大塚家みたいに手作業でやっている人は、ほとんどいない。合鴨といっしょに専業農家でお米を作っている人がいるけれど、それは特殊。たいていは、ウィークデイは仕事に出て、週末農家だ。時間がないから、田植えも稲刈りも機械を使う。高級乗用車くらいのお値段の機械を、みんな1台ずつ持っているのがすごい。田植えも稲刈りも、週末でやっつけようと思うと、みんな日程が集中する。機械を使い回しなんかできないから、一家に一台になる。その一台は、1年に2日くらいしか稼働しないそうだ。もったいない。
手作業でやれば、そんなムダはない。そのかわり、機械で田んぼ作業をした人がもう機械を手放さないように、いまさら手作業でやる勇気のある人もいない。たいへんだからだ。幸い大塚家の田んぼは、彼らが食べられるくらいの広さしかない。だから素人でも10人も集まれば、作業はてきぱきと進んでいく。
昔は田植えと稲刈りの季節には、近所の農家が助けあって、ぶっ通しで作業をしたもんだとみんな懐かしがる。みんなであぜに座って食べるおにぎりは、えらくおいしいのだそうだ。だからといって、もう一度やろうということにはならないんである。
大塚家は、農薬も使わずに米を育てる。雑草は元気に育つから、日々草取りをしなくちゃいけない。農薬を使ったって雑草はちっとは出るのだが、この草取りの作業が、お米づくりではけっこうたいへんらしい。なんせ毎日のことだから。こういう作業は、自分の田んぼを持たないとわかんないのかもしれない。ということで、ぼくはまだそのたいへんさは知らない。日々(といっても月に何度かでいいみたいだけど)草取りをしていると、お米が育っていく様子も如実にわかるだろうし、たいへんなだけでなくておもしろさもつまっているのではないかと思うので、そのうちやってみたいなぁとは思っている。動植物を養うのは向いてないので、なかなか踏ん切れないけどね。
とそんなこんなで稲刈りが終わった。都会からやってきたショウカンの仲間は、ショウカンがこんなところに住まなかったら、泥んこになって米を刈るなんてことはなかっただろう。ふだんはオメガの時計を修理しているとか弁護士をしているとか、およそ長靴が似合わない人ばっかりだ。
ショウカンだってその仲間だから、山奥でお嫁さまをゲットして、横浜のお家につれ帰るつもりでいたらしい。でも愛ちゃんが「あたしはここから離れない」と泣きながら譲らず、しょうがないからショウカンは革靴を履いたまま山奥の住民になった。最初あったときにはアルファロメオに乗っていたけど、最近は軽トラに乗っている。だんだんなじんできたようだ。
稲刈りが終わって団らんが終わって、さぁ帰ろうというとき、次の火曜日に山道に通りかかってくれないかと頼まれた。大丈夫だと思うけど、ぼくは予定が立てられない男なので、どうなるかわからない。ショウカンは何度も何度も確認の電話をしてくる。そのうちテレビ局のディレクターさんからも電話が来た。大事な役らしいので、その火曜日に、ぼくは大塚家へ向かう山道にクルマを乗り入れたのだった。
そしたら、三笑亭夢之助さんがえっちらと歩いていた。夢之助さんは、今日は大塚家を取材に行くレポーターさんなのだ。大塚家は、国道から4kmある。登っておりてまた登るから、2時間くらいかかるかもしれない。ぼくが通りかかったのは、30分も歩いたあたりだったろうか。
事前の打ち合わせはなかった。最近はやらせ問題がうるさいからかな。結局、稲刈りをしているよりも、夢之助さんを乗せて山道を走ったほうが、テレビにはいっぱい映ったことになる。
「お名前は一生忘れません」
と夢之助さんに言われたけど、覚えてくれてなくてもかまわない。でもぼくがどうしても思い出してほしかったら、電気のない大塚家に行くときに乗っけましたといえば、もしかしたら思い出してくれるかもしれない。
と、これだけの取材なんで、誰にも知られずにこっそり出演して、こっそり電波に乗って、それで終わりだと思っていたのに、みんな、テレビをよく見てるもんだなぁ。東京のJOPPAさん、古谷さん、どなたかわかんないけどお問い合わせいただいた読者の方、四十雀ではお世話になりました小酒井さん、夏の天井画はありがとうの長尾くん、それから「見たぞ」といってこずに、実は見ている人もいるかもしれない。
いやー、テレビってのはみんなに見られているもんだね。それだけ全国各地でテレビがついてるってことも、エコが叫ばれているこの時代にすごいと思うけど、少しでも普及を願うトライアル業界人としては、なんでもいいからテレビに出て、トライアルを紹介しなきゃいけないんだろうなぁと思う今日この頃であった。苦手なんだけどね、見るのも出るのも(どうでもいいけど、小学校の時にはNHKの番組に何度か出たことがあった。鉛筆もらって喜んで帰ってきてたけど)。
ちなみに放映されたのはテレビ東京・日曜ビッグバラエティ「2009秋 自給自足物語」(http://www.tv-tokyo.co.jp/sun/backnumber/281.html)。福島県にはネットワークがないので、ぼくはもちろん、主役である愛ちゃんも、まだ番組は見ていないのであった。
最後の写真は、稲刈りを手伝ってくれた人たちにお茶を振る舞うショウカン。不思議な人なのだ。
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2009年11月04日
iPhoneとAndroidと
ときどき東京に出かけて電車に乗ると、若い女の子がiPhoneを手にしている姿をよく見かけるようになった。3年くらい前に、アメリカ在住の友人が帰国した折にでたばっかりのiPhoneを見せびらかしてくれたときには、新しがり屋にはおもしろいけど、日本でははやるのかなぁと思ったけど、若者は確実に新しいものを吸収しているみたいだ。ぼくらみたいな年よりは、さていかがなりや。
どうやらぼくは携帯ガゼットが好きみたいだ。日本の携帯電話にはまったくといっていいほど食指が動かないし、電話は苦手。だからこういう機械は持っててもあんまり役に立たないんだけど、好きなんだからしょうがない。思いついたときにメモができる、というのがまずは楽しい。
メモするくらいだったら、昔ながらでの携帯電話でも充分なんだけど、そこはへそ曲がりだから、みんなとおんなじのではがまんできない。みんなが折り畳みの電話を開いて縦位置の写真を撮っているのを見ると、もー、がまんができない気分になる。なにに対してだかわかんないけど、怒りを感じる。なんなんだろうか。
ちょっと前までは、こんなぼくでもお気に入りの電話機があった。昔の日記を探してみたら、こんなのを書いていた。2004年01月10日「悲しき携帯電話」。へそ曲がりだから、今や少数派のストレート型(折り畳みじゃないヤツ)が好きみたいなんですね。でもこのお気に入りのカシオの防水型も、その後折り畳みになっちゃって、イマイチお気に入りじゃなくなった。
そうこうしているうちに、ぼくの住んでる山の中一帯に、docomoの電波がやってきた。FOMAプラスという、800Mhzの周波数をFOMA規格にでっちあげたもので、日本独自規格。日本ってのは、とにかく独自規格が大好き。鉄道の線路の幅とか右ハンドルの採用とかは昔の話しすぎてよくわかんないけど、携帯電話はこれでもかというくらい日本独特のものばっかりで、それがまた携帯電話産業から国際競争力を奪っているという。
余談だけど、日本の携帯電話のことをガラパゴス携帯電話とかいうんだそうだ。ガラパゴスってのは南米の太平洋上の島々で、ここにいるゾウガメやイグアナなどは、ここにしか住んでいない、外界と遮断された環境で進化した種族なんだそうだ。
日本の携帯電話の特殊性は、電話機を売ってるのがdocomoやSoftBankやauだってことです。ヨーロッパでは、電話機は電話機屋さんで売ってました。電気屋さんのこともあるし、電話機専門店のこともある。ここで電話機を買って、次にSIMを買う。SIMをどこのにするかは、自由自在だ。日本ではdocomoとSoftBankとauとEMobileがある。でも電話機を買ってからSIMを買うというシステムは、日本にはない。
ヨーロッパみたいにするには、まず電話機とは、どこの電話会社(キャリア)のSIMでも利用できるようにしなければいけない。日本で売ってる携帯電話は、どこかのキャリアでしか使えない、いわば欠陥品だ。こういう欠陥品を平然と売っているから、日本の携帯電話機には国際競争力がない。日本の自動車がいくら優秀でも(たとえば)出光のガソリンでしか動かないとなったら、外国の人は買ってくれないに決まっているじゃないか。
外国のオープン路線はいつになったら日本に定着するんだろうと思っていたら、ところがここにiPhoneなる少々色気のある黒船がやってきた。これ、日本ではSoftBankから売られている。なんと、日本的なキャリア依存の売り方を、アップルは世界中で定着させてしまった。これはびっくりだ。
でも世界は広い。ちゃんとした意識をもっている国もあった。そういう国では、iPhoneをキャリア依存なしで売っている。アップルはキャリア依存で売りたかったけど、そんな欠陥品はおらの国では売れないとはねつけたのは、香港、イタリア、オーストラリアなどの国々だ。ロシアもそうだという話があるけど、未確認。
なので、これらの国でiPhoneを買ってくれば、docomoでもSoftBankでも使えるはず。auでは使えない。auは韓国(とそれに準じる一部の国)でしか使えない、これまた特殊な電波を使っているから、ハードウェア的に無理ってことだ。
でも香港で売ってるiPhoneは8万円くらいする。高い。日本ではタダで買えたりするらしいから、その差は甚大だ。ところがここにワナがある。8万円のiPhoneは、純粋に機械の値段。香港と日本で同じ製品の値段がそんなに変わるとは思えない。差額の8万円はどうなったかというと、結局全部ぼくらが払っている。タダで配って、毎月通信料や基本料金をぼったくって、少しずつ取り返している。携帯電話キャリアは慈善事業じゃないんだから、高価な機械をタダで配る道理がない。みんながそこに気がついて、高い電話機を買ってくれれば日本も良くなるんだけど、みんなタダに気を取られて、高い高い電話代を払っていることに気がつかない。なんと不幸なことよ。
iPhoneがほしかったぼくは、香港で買ってきてdocomoのSIMを入れてみようかと考えた。でもこの手の機械は、年がら年中通信作業をして、メールを受け取ったりなんだかんだをやっている。パケット定額みたいなコースに入らないと、いったいいくら請求が来るかわかったものじゃない。ところがしかし、日本の携帯キャリアは香港で電話機を買ってくるなんてコースがないから、iPhoneをdocomoて使おうとするには、ちょっとめんどくさい。
それで結局、ぼくも泣く泣く、郡山のヨドバシカメラに行って、docomoから売られているHT-03Aってのを買ってきた。これ、HTCという、台湾の会社の製品なんだけど、本来HTC Magicというかっこいい名前があるのに、docomoにかかると味も素っ気もないHT-03Aになっちゃう。このへんも、日本は悲しい。この機械は、Androidという新しいOSで動いている。OSを使うのにお金がかからないという画期的なものなので、今後増えていく兆しはある。
書き始めたときには、iPhone(iPhoneを買おうと思って、ぼくはまずiPodTouchを買ってみた)とAndroidのいいところ、悪いところを並べてみようかと思ったけど、日本の携帯のダメダメばっかり思いついてしまって、肝心なところにいきつかなかった。3行で書くと、機能的や将来性で優れているのはAndroid。iPhoneはアップルにいろいろ牛耳られていて、不自由な点が多い。それでもiPhoneを使っていると、幸せな気分になる。Androidは、Windwosと比べたらもうしわけないけど、iPhoneに比べたら、ずいぶんWindowsOSみたいな雰囲気で、ちょっと楽しくない。
共通点としては、どちらもアプリケーションなどが世界中から手に入るということだ。世界中で、同じ機械を売ってるからだけど、世界の人にとって当たり前のことが、日本の携帯電話ユーザーには当たり前でなかったというのは寂しい限りだった。これから、時代は変わるのかなぁ。
といいつつ、日本の人が今のまんまの生活をするには、日本の携帯電話が圧倒的に使いやすいのは確か。だから、日本の携帯電話社会はおかしいんだよと(酔っぱらって)解説しても、みんな上の空で聞いている。これも寂しい限りなのである。
実は、こういう日本独自の鎖国体質は、ほかにもいろんなところで思い当たる。トライアルにもそういうところがあるような気がするんだけど、デ・ナシオン派遣が中止になったり、世界に出ていく日本人がいないような現状だと、開国は遠い夢物語かなぁと、やっぱりちょっと寂しいのでした。
うーむ、このところ暗いことばっかり書いている。すいません。
写真は、iPodTouchのホーム画面(左)とAndroidのホーム画面(右)。Androidのほうは、ちょっとカスタマイズしてみたので、スタンダードではない。まぁ、ハンドルを交換してサイレンサーを交換したくらいの(しかしお金はほとんどかかっていない)カスタマイズだけど。
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2009年11月03日
中古がほしいとき
ガスガスに、カデットという機種がデビューしました。09年初頭にカタログに載って、ようやく先月あたりに日本でお披露目が始まった。
というお話ははじめてのトライアルのマシンのご案内ページをご覧ください。
個人的にはとてもお気に入り(ぼくが乗るという前提でなくて、世の中にどういうマシンが必要なのかを考えると、これがひとつの解答かなぁと思うという点において)なのだけど、このマシンに限らず、新車が売れていないんだそうだ。みんな、トライアルに興味がなくなったのかと思いきや、中古車は右から左で売れていくらしい。新車だけが売れていないんだそうだ。うーむ。
写真は、関係あるようなないような、収穫を待つ、今年の“新米”たち。
新車が売れないというのは、要するに景気が悪いということなんだと思う。最近は少し持ちなおしたけど、円安で相対的にお値段が上がったのもつらいところ。未曾有の経済不況ってのはまだ続いているんだろうから、これはしかたない。
どんぶりでいうと、新車価格は80万円(もちろん、前後いろんな価格のマシンがある)。対して中古車は20万円から50万円ほど。程度と年式によりけりだから、これも一概には言えないけど、20万円というのは底値で、これ以上安いのは安い安いと喜んでいると、まともに走れなかったり修理代がかかったりして、悲しい思いをすることが多い。あるいは、こんなものだと思って乗っていても、実はとっても調子が悪かったりして、マシンがちゃんと動けば1ヶ月で習得する技術が、3年かかってもまだできないということにもなりかねない。値段の高いものを買えとはいわないけれど、ちゃんと動くものを選ばないと意味がなくて、ちゃんと動くかどうかってのは、見る目がないと(オートバイに詳しい人でも、トライアルマシンについては当てにならないこともあるからむずかしい)判断がむずかしい。中古を買う場合は、30万円以上、できれば35万円以上のものにしておくのが安心。
いやいや、ここで中古車の買い方を語りたかったのではなくて、要するに新車と中古車では、ざっと倍のお値段の差がある。この価格差だと、中古でいいかなと思ってしまうのも、しかたがない。
最近中古車を求めるお客さんは、長くトライアルをやっている人より、新しくトライアルを始める人が多いそうだ。これはたいへんにうれしい。なんせ新規参入ですからね。少子化に悩む日本政府に先んじて、トライアルは新規参入者獲得に成功したってわけです。
で、新しくトライアルを始める人は、トライアルがどんなものだかわかんないし、とりあえず適当なお値段のマシンを入手したいと考える。100万円近いマシンは、やはりそれなりに満足感と乗り心地と上達を与えてくれるのだけど、30万円で試しにトライアル体験してみたいと考えるようだ。たぶん、ぼくだってそう考えると思う。
でもね、新車が(仮に1台も売れないとして、中古市場に出てくのはどういうマシンなんだろう。10年前のマシンを手放して、5年前の中古車を買って10年前のマシンを放出するということもあるかもしれない。しかしたいていの場合、ある程度良好の程度の中古車を出してくれるのは、その年に新車を買ったお客さんだった。それが、いまはないってわけだ。
お店はお店で、新車が売れるとうれしいかというと、実はけっこう大変でもある。新車を仕入れるのには、お金がいる(ご時世だから、支払いを待ってくれるようなインポーターは多くない)。新車を買ってくれたお客さんが中古車を下取りに持ってくる。すると下取り分はお店からお支払いする必要がある。お店には新車の売り上げから下取りマシンのお値段が差し引かれた現金が残るはず。デモ実際には、新車を仕入れるのにお金を払っているから、お店には差し引きのマージンがいくばくか残るんだけど、それより大きな金額が下取り代としてお客さんに返っていく。下取りをして新車を売ると、短期的には赤字になる。新車がたくさん売れると、この赤字に耐えれなければいけないというのが、お店のつらいところ。最終的に利益を得るのは、中古マシンをきちんと売ったときってわけだ。
トライアルショップの悲哀を語りたかったんじゃないんだけど、ついそうなっちゃった。言いたかったのは、新車を売るのも、それなりに苦労があるってことだ。それでも新車が売れないと困っちゃうのは、マシンが回転しないということだ。これから始める人のためにも、新車が売れてくれないと困るのである。
これは特に、子ども用のトライアルバイクに顕著だ。もう10年近く前になるけど、小娘にガスガスのボーイが欲しいとおねだりされて、すいません、ぼくは新車を買いませんでした。もちろん新車が買えなかったからでもあるんだけど、新車を買うのが、なんとなくもったいない気がしていたんだよね。思えば、あの時ボーイが欲しい子どもたちの親が(もちろんぼくを含めて)みんなが新車を買っていれば、今ごろボーイの中古車が日本中にけっこう流通していて、トライアルを始めたい子どもも飛びつきやすくなっていたはずだ。残念。
カデットも同様。ボーイが登場したときより、今の方が状況ははるかに悪いから、カデットに(少し)興味を持っても、よっしゃ、買ったろうという太っ腹の方はなかなかいない。こんないいマシンがあるのに、新車が売れないと、日本にしっかり定着しないで消えていってしまう心配がある。
子ども用だけじゃない。125ccもおんなじだ。125ccは入門者、女の人には最適の排気量だけど、これがまたタマがない。なぜタマがないかというと、やっぱり新車が売れないからだ。
中古車を欲しがっている人は、全体的な数を数えれば、実はそんなに多くないのかもしれない。でもしかし、トライアルを始めたい人がいて、トライアルを始めてほしいぼくらみたいなトライアル側の人間がいて、それでもことがうまくまとまらないというのはなんということだ。
いい男といい女がいて、両方とも結婚適齢期なのに、ちっとも話がまとまらなくて悩んでいる結婚相談所のおばさんになったみたいな気分。男がテレビゲームおたくで、女がホストに狂ってるとでもいうんだったらわかるけど、両方ともお互いを求めてるのに、それでも結婚には至らず。
本日はトライアルを代表して、愚痴を言ってみました。おれんところはそんなに捨てたもんじゃないぞという明るい話がございましたら、ぜひご連絡ください。ぼくも少し安心したいです。
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2009年10月19日
トライアル・デ・ナシオン
トライアル・デ・ナシオン(TDN)。世界選手権の個人競技が終わって、だいたい例年1週間後に開催される、国ごとにまとまって世界一を決めるトライアル大会。FIMの格付けを見ると、TDNは世界選手権と扱われていて、これに勝利するのは個人の世界選手権でタイトルを獲得するのと同等の名誉があるとなっている。
このTDNに、日本は2009年の不参加を決めた。 今年のデ・ナシオンは日本チームの派遣が中止になった。2001年にニューヨークのテロ騒ぎ以来の日本チーム不参加になる(あのときは、日本はテロに屈するのかとヨーロッパからおしかりを受けた)。おりしも、モトクロスも日本チームの派遣が中止になった。うーむ、残念。
トライアルはトライアル・デ・ナシオン、モトクロスはモトクロス・ネイションズというんだけど、トライアルがフランス語でモトクロスが英語なのはなんでだろうというのは、ここではこの際、まったく関係がない。
日本のいないTDNでは、スペインチームが優勝、2位に大差でイギリス、3位に大差でイタリア、4位にやはり大差でフランスという結果になった。日本がいたらどうなったかについてはご想像にお任せするが、日本のいないTDNは、タコの入っていないたこ焼きのようなもんだ。
世界選手権をランキング3位で終えた藤波貴久のつぶやき。
「最終戦フランス大会で2位になってランキング3位をとって、パドックを離れるときにみんなにバイバイをすると、みんなじゃ、また来週ねって言う。ぼくが来週は行かないよと言うと、みんなきょとんとして、なんで?って聞くんだ。出場しないのにいってもしょうがないし、TDN不参加が決まったら、あっという間に予定を入れられてしまって、TDN当日はぜんぜん別のイベントに出かけていた」
ヨーロッパのトライアル・ワールドでは、シーズンの最後はTDNでチームプレイにしのぎを削るというのがふつうのことになっている。藤波がTDNに参加しないなんてのは、ヨーロッパ的感覚で言うと、藤波がもてぎの日本GPに参加しないというくらいに不思議なことなのだった。
TDNと日本チームの関わりについては、自然山通信WEBサイトのTDN応援ページに解説をしてあるけど、FIMからの強いプッシュで最初に参戦をしたのが1987年。日本で走っているワークスマシンを走らせるためにメーカーのメカニックがまるごと渡欧しなければいけなかったり、参戦費用も莫大だった。世界選手権に参戦している成田匠が日本代表に選ばれないという矛盾もあった。その後予算の縮小でTDN参戦は中断され、黒山健一、小川友幸が世界選手権参戦をした1995年に、成田匠を加えた3人により、いたってプライベート的チーム形態で日本チームが復活した。このときは、急遽の参戦に日本のファンがバックアップ、参戦費用の多くを募金が支えた。その期待に応えて、新生日本チームは堂々3位に入ってみせたのだった。
しかし翌年のTDNは、スウェーデンで開催と、スペインやイタリアを拠点とする彼らにとって、遠隔地だった。地理的問題で96年のTDN参加はなくなり、その後はまた日本のいないTDNが続く。
1999年。当時世界選手権を参戦していた藤波貴久、黒山健一、田中太一に加えて日本からの小川友幸を加えた4名が日本チームを結成。この年以降、スペイン、イギリスと激しいトップ争いをする世界のトップチームとしての地位を確立していくことになる。
ただしその実情としては、2001年の同時多発テロのあおりをくって参戦中止(ライダーの総意ということになっている。海外からは、日本はテロに屈するのか、意味がわからん、腰抜けだなぁという感想が届いた。チケットをとってしまっていた藤波は、TDNに参戦しない週末は、スペインまで練習に出かけた)。2001年には再びMFJの支援で参戦が復活、このときは女子チームも結成されたのだが、なんとふたたびMFJが参戦支援を中止。日本チームはまたも国際舞台への架け橋を失うという局面にたった。
ここで、ファンが動いた。トライアル愛好者がTDN参戦に対しての募金活動を行い、選手会がこの募金を集めて選手に引き渡すという形式だった。
しかし、時代はだんだんTDNに本チームにとって逆風となっていった。3人の日本人ライダーがヨーロッパに滞在していたのに対し(とはいえ、これもライダー個人が滞在費を負担してヨーロッパに居続けていることなのだが)田中太一が日本に帰り、代わって参戦を開始した野崎史高も2005年を最後に日本に帰り、同時に黒山健一も世界選手権(全戦)参戦から撤退した。今、ヨーロッパで戦っているのは藤波貴久ただ一人。15年を経て、再び世界選手権の舞台が遠い世界に戻っている。
日本チームを結成するとなると、男子チームだけでも最低ふたり(ふたりでは勝負のできる体制ではないが)を日本から遠征させる必要がある。ひとりの渡航費は、だいたい50万円。ライダー、メカニックはマシンや工具、パーツの輸送にそれらを運べるレンタカーの手配と、個人の旅行(取材旅行はしょせん個人旅行の範囲だから、1回の取材は30万円以下でおさまっている、はず)とは桁がちがってくる。TDN募金は2002年にMFJが支援中止を決めてからずっと継続しておこなわれているが、ひとり200万円、少なくとも100万円は確実にかかるというライダーの遠征費用を全額負担できるまでにはいたっていない。ライダーは、日本代表の名誉を得る代わりに、大きな出費を強いられている。
その評価についても、微妙なところがある。日本は誰がどう見ても、世界のトップチームである。藤波、野崎、そして小川毅士と、圧倒的に戦力の劣る体制で参加した2006年でも、日本は3位を獲得している。それはとても苦しい戦いではあったが、それが日本の底力をよく証明して戦いだったとも思えたものだ。
この年の3位は、優勝にも匹敵する価値があったと思う。さらに2000年と2007年、2008年と、日本は2位にはいっている。2007年、2008年はイギリスに大差をつけての2位だった。2007年と2008年の勝者はスペイン。今、スペインはボウ(2009年チャンピオン)、ラガ(同ランキング2位)、ファハルド(同ランキング4位)、カベスタニー(同ランキング5位)の4人をそろえている。顔ぶれだけを見れば、ランキング3位の藤波が筆頭の日本、ランキング6位のランプキンが筆頭のイギリスには、スペインにはとうてい勝ち目がない。そんな中で、勝利チームに肉薄して2位を得るというのは、大仕事だった。
ところが日本に帰ってくると、日本2位の結果は偉業ではなく、優勝できなかった、という事実として伝えられる。日本GPが日本で開催されて以来、藤波が毎回のように獲得する2位表彰台が、好成績でなく勝てなかったという評価を受け続けたのと同じことかもしれない。
勝てなかったのだから勝てないという評価を受けるのは、ある意味では当然かもしれない。しかしヨーロッパの現場では、イギリスもスペインも日本も、まちがいなくスターの集合体である。TDNには、南アフリカの小さな国からもチームがやってくる。彼らは自分たちの戦いと同時に、スペインを、イギリスを、そして日本人ライダーの走りを見るのを楽しみにきている。各国の代表選手にもあこがれの存在、それが日本チームの面々だ。世界中のあこがれの存在である日本チームのメンバーの活躍が、日本国内ではあこがれになっていないという事実が、どうにも残念なことだ。
「日本のファンのみんなにも、TDNの現場をぜひ見てほしい」
と訴えるのは、藤波だ。ヨーロッパに拠点がある藤波は、選手としてももちろんだが、日本が不参加となったときに、ヨーロッパのみんながどんな反応を示したかも、痛いほどわかっている。「どうして?」「理解できない」「あんなにすばらしいライダーがいる国なのに」。
一度、日本でTDNをやれば、日本のみんなにもTDNがどんなものだかわかってもらえるのではないかと藤波は続ける。何年か前、日本でのTDNが話題に登ったことがあった。しかしトップライダーを招聘すればかたちができる世界選手権とちがい、世界何十カ国のチームに日本に来てもらわなければならないTDNでは、事情はもう少し複雑だ。
今、ヨーロッパで開催されているTDNには、ラトビアやグアテマラなど、けっして裕福とは思えない小さな国々もやってくる。ほんとうに見てほしいのは、リザルトにものらないこういった国々の活動だ。こんな国だって、海を越えてやってくる。どうして(実情はどうあれ、よその国から見ると、お金持ちの国だと思われている)日本がTDNにやってこれないのか。
日本でTDNをやるのはもちろんすばらしいことだけど、ぜひ日本のファンのみなさんには、トライアルの本場であるヨーロッパのTDNをぜひ見てもらいたいものであります。
ところで、2009年に日本チームが派遣を断念したのには、ひとつには未曾有の不景気でどこも金回りが悪くなったというのが大きいのだけど、毎年遠征しているライダーたちの負担も限界になっているというのがある。たとえば50万円の赤字だとしても、1回だけなら日本のために、ファンのためにがまんができる金額かもしれない(ほんとはきついけど)。でもそれが何年も続いては、かなり厳しい出費になる。しかもそれは、ライダー個人の名誉ではなく、チームとして、国としての名誉になるものだ。
同時に、今のトップライダーが引退したあと、はたして日本はどうなるのかという素朴な心配もある。小川友幸、黒山健一は30歳を超えた。藤波ももう間もなく。野崎や小川毅士、渋谷勲やあるいは田中太一はまだ現役世代だが、みな同じ世代の彼らの次の世代はというと、かなり心細い。
では、今から次の世代の育成をかけて、TDN派遣を考えてみてはどうかという意見がある。今、勝利が見えているのだから勝つべき体制でいくべきだと言う意見ももっともだが、勝つべき体制が疲弊している現状も無視できない。
20歳以下の、世界にはばたきたい国際A級ライダーを集めて、これにチームリーダーとして現地にいる(いつまで現地にいるのかも微妙だが)藤波についてもらう。若手ライダーとすれば、藤波と一緒に、しかも同じチームとしては知れるめったにないチャンス。しかも周囲にはライバルとしてのイギリス、スペインなどもいることになる。
藤波や黒山の時代には、勝てる体制で渡欧するのが絶対の条件だった。しかし今、それだけの体制を整えられるライダーがいない中、まずはヨーロッパのトライアルを実体験してもらう場としてTDNを活用してはいけないものだろうか。
TDN不参加が決まって、すぐに別の予定を入れられてTDNの現場にはいかないことになった藤波にこういう話をしてみたら「それならそれで、ぼくは喜んで若いライダーのリードを引き受ける」と話していた。
でも、それにしてもなににしても、日本のみんなにTDNの現場をもっともっと知ってもらわないといけない。
こういうことになると、結局雑誌屋であるぼくらがいけないということになるんだけど、自分たちの非力を痛感させられている今日この頃です。
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2009年09月04日
田植え
もうそろそろ稲刈りの時期だってのに、下書きファイルをめくってみたら、田植えの時期に書きかけた日記があった。日記なんてものは、思いついたら一気に書いてしまわないといけないですね。でも田植えの時期、ぼくはいろいろお悩みで、一気に突き進める心境じゃなかったんだ。ぼくだって、こういう時期があるんである。
ということで、今更だけど、田植えのお話。田植えが終わらないと、稲刈りもできないから。
4月中旬。春になった。あったかくなったり寒くなったりしながら、それでも春になったと感じる瞬間がある。草花だって、そういうタイミングを逃さずに花を開くのだから、人間にだってわかる。
「春になったなぁ」
すれちがう人とかわすあいさつで、あぁやっぱり春なんだと確認する。いやいや、確認するまでもなく、あたり一面、春なんだけどね。
そして春になれば、あちこちでトラクターが動き出す。田んぼの準備をして、種をまく。去年の秋に収穫したお米を玄米のままとっておいて、田植えにあわせて種まきをする。
種まきの前に、ちょっとだけ芽を出した状態にするのに、お風呂でお米をあっためたりするんだそうだ。一昼夜お米がお風呂を占領するから、そのときはお風呂が使えない。幸いわが村には立派な温泉施設があるので、お風呂が使えなくても安心である。高田島から温泉までは10分ちょっとかかるので、ふだんはめったに行かないけれど、種まきのこの時期だけ、温泉に行くのが年中行事という人もいらっしゃった。
しかし春になったからといって、油断しちゃいけない。この時期、春になったといっても、季節はまだ気まぐれに冬を思い出すことがある。そうすると、霜が降りる。村に来た当初は、霜が降りるというのがどういうことなのか、よくわからなかった。寒くなったら、セーターでも着ればいいじゃないかと思っていたけど、寒くなってあったかくしなきゃいけないのは、むしろ人間より作物である。
「カッコーが鳴けば、霜は降りない」
というらしい。最近じゃ、スーパーコンピュータが正確な天気予報をしてくれるけど、土地の人はその土地それぞれに、スーパーコンピュータよりもあったかな(スーパーコンピュータも相当な熱を持つけど)予報システムを見つけていたんですね。
しかしそれでも、失敗はある。霜を防ぐためにかけたビニールシートがめくれてしまっていたり、かけ忘れたり。夕方、みんなが集まる居酒屋さん(と呼ばれているが、ふつうの酒屋さん。ワンカップとおつまみを買ってお店の隅のいすに腰掛ければ、立派な居酒屋さんの出来上がり)では、霜で苗をだめにしたあんにゃ(兄さん、なんだろうけど、長老という意味合いがあるようだ)が頭をかかえている。昨日や今日田んぼをはじめたわけじゃないのに、それでも失敗はあるんだから、きっと奥が深い世界なんだろう。
この春、集落の田植えを片っ端から記録してやろうと思い立った。大上段に構えたけど、カメラを持ってそこここの田んぼに出没するだけだ。しかしまず、どの田んぼが誰の田んぼかがわからない。誰かさんちの前に広がる田んぼが、はるかかなたの別の誰かさんちの田んぼだったりする。田んぼの住所録は、地元の人でもあやふやみたいだ。
昔、機械を使わず、人間が田植えをしていた頃は、結いという農業互助組合があった。今日は誰それさんの田んぼ、あしたは彼それさんの田んぼ、あさっては何彼さんの田んぼと、みんなで田植えをしていく。子どもは学校を休んでた上のお手伝いをし、お昼はみんなであぜ道でおにぎりを広げる。
「あれは楽しかったなぁ」
と、みんな口々に言う。楽しかったけど、いまさら、結いを復活させて機械に頼らない田植えをしようとは誰も思わない。機械なら、田植えは2日あればほぼ完了してしまう。手植えだったら1週間はかかったという。
それでも、田植えの時期は人手がいる。苗を機械に載むだけだって、ひとりでやっていたら効率が悪いったらありゃしない。それで、息子や婿さんが招集される。
「たいへんだけど、米がとれなかった年でも、タイ米とかは食べたことないです」
と、機械が巡ってくる合間に、息子さんが言う。タイ米にはタイ米の味があるもんで、いちがいにまずい米とは思わないけど、タイ米を食べるしか選択肢がなかった年があったことを思うと、うらやましい。うらやましいけど、それだけの苦労の結果の特典でもあるわけだ。
機械に頼る現在の田植えだけれど、手で操縦しながら植えるやつ、ハンドルを握るやつ、たくさん植えられるもの、植えたあとに肥料だかをいっしょに撒けるやつ、機械もいろいろ。遠目には同じように見える田植えの光景だけど、それぞれの家には、それぞれのやり方があるようだ。
「誰それさんちは、手間をかけすぎて、米が過保護なんだ。だから弱いんじゃないか。おれんところはなんにもしてねーぞ」
夕方の酒の席で、彼それさんがいう。
「やらなきゃやらないで困ることもある。ちょうどいいのがいいんだ」
誰彼さんが答える。
大規模農業で国際競争力をつけようという動きもあるみたいだけど、お家それぞれ、個性のある農業をそれぞれが続けている今の形も、それはそれなりに興味深い。
全農家の田植えの記録は、ほんの数軒で挫折。一応、仕事もあるしね。秋の稲刈り、次の春の田植えと、これはぼくのライフワークにさせていただくことにした(要するに棚上げ)。
● 22:57 | コメント (1) | トラックバック (0)
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